勤労感謝の日に、進化について考える

今日は勤労感謝の日です。

「勤労を尊び、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨で昭和23年に制定されたらしい。


こういう事を簡単に調べられるところが、インターネットの素晴らしいトコロなんですが、インターネットで簡単に情報を共有出来るし、いつでも調べられるから記憶するという作業が疎かになっている気がします。

世の中が便利になるにつれて、人間の能力は劣化しているのではないか?と、時々不安になることがあります。



携帯電話の普及で失われたもの

携帯電話が普及する前は、頻繁に連絡する友達や親戚、彼女の電話番号を記憶していた。

ところが携帯電話が普及して、電話番号を記憶するという作業は必要なくなり、携帯電話に登録すれば簡単に検索して電話をかける事が出来るようになりました。

それと同時に、他人の電話番号は記憶から消されてしまった。

退化という現象を目の当たりにしたような気分です。


人間は猿から進化したとされていますが、進化の過程で元々あった尻尾は必要なくなり、現在では尾てい骨という名残だけが残っている。

「ホントかなあ?」と、やや疑問を抱きつつも「そうなんだろうな」と納得していた。

進化の過程で不要になった機能は退化するのである。

携帯電話が普及して、電話番号を記憶する必要が無くなったら、途端に電話番号を記憶する機能は退化してしまったのだ。

電話番号を記憶する必要はないんだから、そんな機能はなくなっても問題は無い。

ただそれだけの事なんだけど、よく考えてみると凄い事なのだ。

人間の尻尾は何万年もかけて退化したんだと思っていたが、実際には10年とか20年の間になくなってしまった可能性がある。

実際に我々は記憶装置の一部を数年間の間に失ってしまったのだから、尻尾が10年の間に失われたとしても不思議ではない。

長い年月をかけて進化したという考えは改めないといけないかも知れない。

ある環境の変化がキッカケで、短期間の間に尻尾が無くなってしまったとしても全く矛盾しない。

そんなものは研究したい人が研究すればいい事なんだが、なんとなく気になってしまった。



インターネットの普及で記憶する機能は失われるかも知れない

ちなみに私の体験談なのだが、帯を結ぶ時に「貝結び」を教えてもらった。

教えてもらった時にはちゃんと覚えていたし、その後数日間は自分で貝結びが出来た。

そして数ヵ月後には忘れていた・・・

インターネットは便利で、「貝結び」で検索すると貝結びを図解入りで教えてくれる。有難い話だが・・・
「恐らく明日には忘れてしまって、明日の朝には同じサイトを見ながら貝結びをするんだろうな」と思っていたら、案の定忘れていた。

私にとって貝結びが必要なのは一年間に三日間だけ、相知くんちの時だけである。

忘れても困らないし、ネットで検索すればスグに調べられる。

そういう環境にいるから、貝結びの方法を記憶する必要はなくなり、記憶する機能は退化したのだろう。

ただ単に加齢による記憶障害かも知れないけど・・・

インターネットという便利なツールを手に入れる事によって、記憶するという能力は明らかに劣化している。

近い将来、我々は記憶するという能力を完全に失ってしまうかも知れない。

数年間という短期間のうちに記憶力が無くなるかも知れない。

恐ろしい話である。



人間が自ら作り出した環境の変化

携帯電話やインターネットの普及による環境の変化は、人間が自ら作り出した環境の変化である。

猿から人間に進化したのは、自然環境の変化による進化であり、進化というモノは全て自然環境の変化がキッカケだと信じていた。

ところが人間は、自らを進化させるような環境の変化も作り出せる存在になってしまったようだ。

これはもう、神の領域に入ったといっても過言ではないような気がする。

「人間って凄いな」と感心すると同時に、なんか恐ろしいような気分になるのは私だけだろうか。