ゆとり教育ってなんだったんだろう
文部科学省の発表では、2011年度から小学校で使用される教科書が大幅にボリュームアップされるらしい。
ゆとり世代を生み出した狂気のゆとり教育に終止符が打たれることは喜ばしい話なんですが、この間に小学校で教育を受けた生徒さん達はどんな心境だろう。
文部科学省は30日、2011年度から小学校で使用される教科書の検定結果を公表した。
現行の学習指導要領を全面改定し学習内容を増やした新学習指導要領に基づく初めての教科書で、「ゆとり」をうたい内容を大幅削減した00年度検定の教科書と比べ、平均ページ数は全体で43%、理科と算数で67%、国語で45%増えた。現行教科書と比べても全体で25%、算数で33%。理科で37%増。
学力低下への懸念から、教科書の内容は03年度検定(05年度供給)で指導要領を超えた「発展的記述」を取り入れるなどして増やされたが、今回の検定で「ゆとり」から完全に決別した形だ。
今回の09年度検定で合格した小学校教科書は計148点。各教科とも軒並みページ数を増やし、特に主要教科で増えた。情報量を増やそうと、理数や社会では、標準的なB5判より横に長い「AB判」を採用した教科書が7倍の42冊になった。
国語では、新聞の編集の仕方や記事の書き方に注意して読む事を通じ言語能力を高める活動が登場。社会では、インターネット上の情報が正確か否かを読み解く力などを身に着けるページが充実した。国際学力到達度調査(PISA)で日本の子供の成績が振るわないことを意識し、生活に即した場面で知識を活用し記述式で答える問題が算数などで増えた。
(2010年3月30日16時12分 読売新聞)
htp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100330-OYT1T00743.htm
ゆとり世代の人たちは、社会に出てから「ゆとり」と馬鹿にされ、実際に他の世代と比較すると基礎知識が乏しい感じがします。
ただ・・・「常識が無い」とか「甘えている」「近頃の若いモンは・・・」なんて言葉で批判するのは如何なモノかと思う。
我々40代の人たちは社会に出たときに「新人類」と呼ばれていたし、社会に出たばかりの頃は「学生気分が抜けとらん!」と言われたものだ。
「近頃の若いモンは・・・」って台詞は、古代人の時代から言われていたようで、いわば使い古された言葉である。
ゆとり世代を批判的に感じる大人は最悪だと思うのだ。
ゆとり世代に対して、私も「ゆとりは・・・」と感じた事があるから、私も最悪な人間の一人である。
なぜならば、彼らはゆとり教育の被害者であって、決して加害者ではない。
恐らく教育関係の圧力団体による政治的圧力の影響だと思うが、基礎学力が低下する事などゆとり教育の弊害については多くの大人が懸念していた事だ。
「政治的な決定だから」という理由で、大した反対もせず、そのまま見過ごしてしまった当時の大人達は、自分達の教育や政治に対する無関心がゆとり教育を生み出し、多くの少年・少女たちに有意義な教育を提供出来なかったという事を反省しなければならない。
教育に無関心だったという事は、教育を受ける人たちに対する愛が無かったって事ですよね。
マザー・テレサ(本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ)は、「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言っているし、私もその通りだと思います。
「これだから・・・ゆとりは・・・」って呆れる前に、自分達の無関心が大勢の被害者を生み出したという事を反省しないといけないと思う。
2011年度から教科書の内容が増えるという事は、それだけ基礎学力の向上には繋がるだろう。
これ以上被害者を増やさないという意味では、今回の文科省の発表は大いに評価出来ると思います。
しかし同時に、今まで充分な基礎教育を提供されなかった世代に対し、何らかの対応が必要になるんじゃないだろうか。
といっても、勉強が嫌いな人に対して「今から小学校の授業を教えますよ」なんて言っても、誰が今更小学校の授業を受けるだろうか。
また、勉強が好きな人は、今更教えなくても自分で勝手に勉強しているでしょう。
しかし、我々はゆとり世代の彼らに対して「自分達の無関心のせいで、君達に充分な基礎教育を提供出来なかった」という気持ちは持たないといけないんじゃないだろうか。
彼らは自ら好んでゆとり教育を受けた訳じゃ無いんですよね。
我々の無関心のせいで、一部の圧力団体の要望が通り、そのまま実施されたという事実は大いに反省しないといけないと思う。