八ツ場ダム建設中止 賛否の本質

八ツ場ダム関係で、興味深く読ませて頂いたエントリです。

速報ダム日和さんのエントリで

長野原町民が八ッ場ダム中止問題の矢面に立たされている3つの理由

感情論

八ツ場ダムの建設中止の関しては、賛成派も反対派も「ちょっと感情的になりすぎてないか?」と思うブログが多いのですが、このブログは非常に客観的なエントリだという印象を受けました。

管理人さんは「ダムマニア」を自称しておられますが、エントリの内容は非常に客観的です。

ダムマニアのブログなら、もっと感情的にダム建設をプッシュした方がウケが良さそうですが、ダムマニアゆえに賛成派の意見と反対派の意見の双方に公平性を求めて居られるのかも知れません。

注目するべき箇所は

これは90年代後半から2000年代初頭にかけて長期化して停滞していたダム事業が軒並み中止になったからという事が大きいんじゃないかと勝手に思っているのですが、世の中的にはそんな事は全然伝わってなくて、この長野原町民の存在をどう扱ってよいのか日本中で悩んでるように思います。無理矢理落としどころを作ろうとしてか「町議が一般町民のフリしてインタビューを受けていた!ヤラセだ!」的な話が出て来たりしてますけど、どう考えても本質的なところじゃ無いはずです。もっと悩め。
引用:速報ダム日和 長野原町民が八ッ場ダム中止問題の矢面に立たされている3つの理由
http://d.hatena.ne.jp/dambiyori/20090925/1253888040

テレビが垂れ流している地元住民のコメントの中に、ダム建設に関わった町議のコメントが住民の声として報道されているという事が、多くのブログで紹介されていますが、多くの住民の意見の中に町議の意見の一つが入っていただけの話です。

その町議の意見を全ての住民の声のように報道するメディアに問題があるのは事実ですから、メディアの健全化と言う問題で批判するべきだと思うのです。

しかし、メディアの報道姿勢に対する批判を、八ツ場ダム建設の是非に結び付けてしまうのは、明らかに本質から逸脱した行為であり、論点のすり替えだと思います。

この論点のすり替えを、速報ダム日和さんは、ズバリ指摘しておられますね。

八ツ場ダム建設中止問題の本質

八ツ場ダム建設中止に関する問題の本質は、八ツ場ダムが必要なのか、それとも必要ないのか、という一点に尽きると思います。

感情的になりすぎて、本質を逸脱してしまっては、多くの議論も無意味な誹謗・中傷合戦になりかねません。

八ツ場ダムに限った問題ではなく、他のダムでも同じ事で、問題の本質は、必要か不要かって事だと私は考えています。

今後140ものダム事業を見直すという話ですが「ダム=無駄遣い」「ダム=天下りの利益」「ダム=ゼネコンの利益」という固定観念で議論するのは、非常に危険な思考停止です。

ゼロベース

ダム建設を見直すという事は、全ての事業を一旦ゼロベースに戻して、推進するのか廃止するのかの議論を一からやり直すと言う事ではないだろうか。

また、ダム本体の工事は始まっていないから、今中止してもこれ以上の費用は発生しない、または自治体や住民に対して費用弁償や保障を行えば良いという考え方も危険な考え方だと思います。

そもそも、山間部に巨大建造物を作るダム建設は、本体着工前の土地の買収や資材搬入用の道路など、インフラ整備に多くの費用が必要なのは当然なんですよね。

しかも、現在シンボリックに扱われているダムを横断する橋の橋脚ですが、巨大な橋脚を一つ作るためには、強度確保の為に橋脚の根元は頑丈な地盤じゃないといけない。

これは私の推測ですが、地質改善を含めた地盤強化が行われていると思います。
外観では想像出来ないような補強工事が行われている事は間違いないでしょう。

元の吾妻渓谷に戻せといっても、戻すことは出来ないんです。

中止しても、元の自然な状態に戻すことは出来ない。

だから、推進しろって話じゃなくて、中止した後で元の自然が戻ってこなくても現政権を責めちゃイカンという事です。

ただし、中止の伴い危険な状態がむき出しになっている箇所などは、今後の災害対策として追加工事が必要でしょう。

この費用は、間違いなく完成させる費用より高額になるでしょう。
ただし、その後の維持管理費用は、ダムの維持管理費用ほど高額にはならないと思いますし、災害対策ですから予算の出所が違うでしょう。

ダム建設事業の予算は抑えられるけど、災害対策費で莫大な税金が使われるだろうという事です。

追加工事を怠って、今後の自然災害の被害が拡大した場合、その責任は中止した事ではなく、中止後の事後処理の問題です。

ダムには寿命があるという事も重要な判断材料

逆に、ダムには寿命があるという事も考慮しないといけません。

ダムを完成させたとしても、完成後にも維持管理費用は発生しますし、百数十年後にはダムは寿命を向かえ、治水・利水のメリットはゼロになります。

百数十年後の子孫達は、メリットが無いダムに対しに、災害対策費と言う名の税金を支払い続ける事になります。

それでいいのかどうかは、個人個人の考え方があるでしょう。

本質はシンプル

考えるべき事は非常に沢山あるんですが、この問題の本質は「八ツ場ダムは必要か?」というシンプルな判断なんです。

ある有名経済学者のブログに、サンクコストについての記述があるのですが、経済学の観点からサンクコスト(埋没費用)を決定に反映させないという考え方も大切だと思います。

しかし、マニフェストもサンクコストの一つだし、立ち退かされた住民感情もサンクコストです。

経済学って感情が介入する余地が少ないので、経済学の観点から考えると、地元住民の希望に沿わない決定になるだろうなと思います。

出来れば、地元住民の人たちの横っ面を札束で引っ叩いて、強引に従わせるような事態にならない事を望みます。

そんなの絶対「友愛」なんかじゃないし・・・