ノーベル平和賞と憲法9条についての雑感
ノーベル平和賞関連の話題が多いので、日本の憲法9条について思うことを書きたいと思います。
はっきり申し上げまして、憲法9条がノーベル平和賞を受賞する可能性は限りなくゼロだと思っていました。
的中率2.5%のオスロが有力候補に挙げたからとか、そんなのは関係なく「憲法9条はノーベル平和賞に値しない」というのが本音。
そんな事を書いたら9条信者からイロイロとお叱りを受けるかも知れませんが、実際に9条はノーベル平和賞に値しません。ましてやその憲法を保有している国民に対してノーベル平和賞が与えられる訳が無い。
確かにノーベル平和賞は政治色の強い賞です。
将来、戦争や紛争の中心人物になりそうな人に与えて抑止力にするとか、一部の団体に対する警告的な意図を持つ選考であったりとか、単純に「平和に貢献した」という理由で受賞するようなものじゃないんですよね。
ちなみに憲法9条のおかげかどうかは知りませんが、日本は70年間も戦争をしていない国です。それを「憲法9条があったからだ。」と言われれば、「そうかも知れない」と思う反面「えっ?憲法9条にそんな神通力があるの?」と思う事もあります。
9条のおかげで、日本が他国に戦争を仕掛ける可能性は低くなっていますが、周辺の諸外国は「日本には憲法9条があるから攻め込めないな。」なんて考えるでしょうか。
憲法9条は、日本が戦争を仕掛けないという意味では抑止力ですが、他国からの侵略に関しては何の効果も無いただの文言に過ぎません。
まあ1万歩譲って「憲法9条のおかげで日本は約70年間の長きに渡り、戦争に巻き込まれるが無かった。」としましょう。それでも平和なのは日本だけであって、東欧や中東、アフリカなどの紛争を抑止するような効果は全く無いんです。
「日本のみが平和ならそれで良い」というのは日本人の本音でしょうけど、ノーベル平和賞には相応しくないですよね。
ノーベル平和賞を受賞するのは、世界に対して平和活動を行う者のみです。日本の憲法9条なんて全く資格が無いといえます。
憲法9条で他国の戦争を止める事は出来ません。
憲法9条は日本人が誇りに感じていれば良いだけで、世界規模で考えると何の効果も無いただの綺麗事に過ぎないんです。
そんなのがアルフレッド・ノーベルの贖罪になるとも思えない。
ちなみに私は「ノーベル賞は、ダイナマイトの発明で多くの人を殺したアルフレッド・ノーベルの贖罪だ。」と考えています。
少なくとも世界規模で影響力のある人や活動が評価されるべきであり、ただの文章が評価されるべきではありませんよね。
アルフレッド・ノーベルの贖罪に関しては高く評価してるんですよね。贖罪であろうがなんだろうが、いろんな意味で社会貢献出来るのは素晴らしい。