ほぼ24時間体制で労働を強いられ、賃金さえ支払われる事のないブラック企業の犠牲者たち

日本の全ての工場では、人間に作られた機械たちが、ほぼ24時間体制で働かされている。

機械たちは、完全に無給で労働を強いられている。

機械たちに与えられるのは、僅かな燃料と電気だけである。

定期的にメンテナンスと呼ばれるおやつの時間もあるが、与えられるのは僅かばかりの潤滑油だけである。

しかも、その少ないおやつタイムも週一だったものが月一に減らされ、月一だったものが年一に減らされ、最悪の場合はおやつタイムが全く無い超ブラック企業もある。


機械たちの親は、それなりに大事に扱ってくれた。

様々な部品を組み立ててくれて、おやつである潤滑油も沢山くれた。

出荷する為の梱包作業のときは、まるで娘を嫁に出す父親の如く寂しがりつつも、嫁入り衣装である梱包材で包んでくれた。

機械たちは優しかった親達を思い出しながら、日々の仕事に耐えているのである。


そんな過酷な労働を強いられている機械たちよりも更に悲惨なのは、古くなって使えなくなった機械たちだ。

減価償却が終わる頃から、工場の人間達の扱いが雑になり、最後は倉庫という名の監獄で監禁される。

おやつどころか燃料も電気さえも与えられる事は無い。

ただ倉庫整理という名の死刑の執行を待つばかりである。


彼等は何も悪い事はしていない。ただ時間の経過とともに仕事が出来なくなっただけである。

人間は年老いて仕事が出来なくなっても、年金とか生活保護なんていうセーフティーネットが用意されているが、年老いて仕事が出来なくなった機械には廃棄処分という名の死刑が待つばかりである。


ただ唯一の救いは、時々忘れた頃に倉庫にやってくる保全担当の人間がいる事だ。

古くなって使えなくなった機械たちから、他に流用できる部品を探し出して仕事を与えてくれる。そこで職場に復帰しても、僅かばかりの燃料と電気で過酷な労働を強いられるだけなのだが、倉庫の中で座して死を待つ本体よりは恵まれていると思う。

暗い倉庫の中で、座して死を待つのみの本体は、度々体の一部を流用部品として剥ぎ取られ、やせ細って廃棄処分になるのである。

ある部品はこう言った「倉庫の中で座して死を待つだけの本体よりは、毎日毎日部品同士で削りあいながらでも人様の為に働ける事に喜びを感じている。」と!


そして今日も、部品同士で削りあい、まさに身を粉にして機械たちは働いている。

彼らは基本的には文句など言わないし、人間に対して逆らったりしない。

潤滑油が不足したときに異常音を発しておやつをねだるだけである。


日本のほぼ全ての工場は、このように機械からの搾取の上に成り立っており、この非人道的な搾取構造に疑問を抱く者はいないのである。


我々の豊かな生活は、あわれな機械たちの犠牲の上に成り立っているのである。