肥前の石炭王の話

佐賀や唐津に住んでる人なら一度くらいは故高取伊好氏の名前は聞いたことがあるだろう。

唐津では高取氏の邸宅が国の重要文化財に指定されているし、唐津市管理の下で「旧高取邸」として一般公開されている。


高取氏は「肥前の石炭王」と呼ばれた大実業家だが、炭鉱で成功するまでは様々な苦労があったと伝えられている。

資産家や財界人からの協力を得て、いくつかの炭鉱の採掘権を買い取って経営するが軌道に乗らなかった。

我が故郷・相知町にあった相知炭鉱に着目し、地元の炭鉱主たちから深層の採掘権を得て、試掘を繰り返した。

そしてついに相知炭鉱の地下70メートル地点に良質の石炭層を発見し、「相知炭鉱株式会社」を設立する。

しかし炭鉱経営は軌道に乗らず巨額の負債を抱えた高取伊好氏は、将来有望と確信していた相知炭鉱を三菱財閥に売却する事になる。

その後、三菱相知炭鉱は従業員5千人を抱える大鉱山へと成長し、我が相知町の経済発展に大きく貢献する事になる。

炭鉱が閉山になるまで、相知町は炭鉱の街として栄えた。私が生まれる前の話である。


負債に耐えかねて柚ノ木原、蜂ノ巣、相知炭鉱を相次いで手放すも、高取氏は炭鉱経営の夢を追い続け、売却した資金に加え新たな借金をして杵島地区の炭田開発に乗り出す。

日露戦争後の好景気で石炭の需要が増えたので杵島炭鉱は飛躍的に発展する。

杵島炭鉱は大正時代に年間60万トンの石炭を採掘する炭鉱になり、高取伊好氏は「肥前の石炭王」と呼ばれるようになる。


杵島炭鉱成功までの高取伊好氏は悪戦苦闘の連続で、巨額の負債を抱え続けてもがき苦しんでいる。


高取伊好氏は負債が大き過ぎる為に、借金取りから遁れて唐津の料亭に潜んでいたという話もあるくらいだ。

肥前の石炭王と呼ばれた高取伊好氏も、炭鉱経営が軌道に乗るまでは負債に苦しむ一事業主だったのです。

故高取伊好氏の話はhttp://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze15/shaze15.htmが詳しいです。

なぜ今頃この話を思い出したかというと、本日のニュースでこんな記事を見つけたからです。

住商 シェールオイルで巨額損失
大手商社「住友商事」は、アメリカでのシェールオイルの開発で当初、見込んだ量の石油の生産が難しくなったことなどから、およそ2400億円の損失が発生する見通しとなり、今期の最終利益の見通しを大幅に下方修正しました。
住友商事はおととしからアメリカ・テキサス州で現地の開発会社とともにシェールオイルの開発を行っています。
しかし、当初、見込んだ量の石油やガスの生産が難しくなったことから、開発する権利の大半を売却することになり、これに伴っておよそ1700億円の損失を計上する見込みになりました。
さらに石炭や鉄鉱石の価格が低迷していることなどから、合わせておよそ2400億円の損失が発生する見通しです。
この結果、住友商事は今期のグループ全体の決算で最終利益の見通しを当初の2500億円の黒字から100億円の黒字に下方修正しました。
住友商事の高畑恒一常務は記者会見で、「地質が予想以上に複雑だった。シェールオイルの開発リスクをどう見極めるか、今後の大きな課題だ」と話しています。

昔から、石炭、石油、ガスなどの採掘事業はリスクの大きなビジネスモデルであり、山師的な印象が強いビジネスです。

何度も失敗しても一度の成功で巨万の富を築く事が可能なビジネスなんですね。


アメリカの石油王・ジョン・ロックフェラーは、「私はいかなる失敗も、チャンスに変えるよう常に努力してきた。」という名言を残しています。


採掘事業というのは忍耐と根気が必要なビジネスなんですね。