ゴーストライターをDisってる連中が気持ち悪い件について

なぜゴーストライターが話題になってるのか判りませんが、佐村河内守氏のゴーストライター事件以来、ゴーストライターが脚光を浴びてるようです。

そして佐々木俊尚氏のブログにも驚くようなリツイートやFBいいねがつき、おびただしい数のはてブがついてる。
参照⇒書籍のゴーストライターというエコシステム


それだけゴーストライターに注目が集まっているんですが、私自身は何故こんなに注目を集めているのか理解に苦しみます。


発端は佐村河内守氏とゴーストライター新垣氏

発端となった佐村河内守氏と、そのゴーストライター新垣氏についてですが、作品が本当に素晴らしいのであれば作者が誰であっても関係ない。嘘をついてた佐村河内氏やゴーストライターを隠していた新垣氏にはそれなりの罪があるかも知れないが、作品自体には何の罪もありませんよ。

そもそも佐村河内氏の聴覚障害などは、本人の問題であって作品とはなんら関係ありません。


それとも佐村河内氏が聴覚障害でありながら優秀な作品を作り上げたという背景が作品の評価に繋がっているとしたら、それは余りにも作品自体を愚弄している。


そもそも聴覚障害という背景に感動のストーリーを見出していたのなら、それは聴覚障害を持つ人に対する同情であり、突き詰めれば健常者が障害者を哀れんだ結果であり、健常者の上から目線な訳ですよ。悪い言い方をすれば健常者ゆえの哀れみであり障害者に対する差別だと言えます。


何が言いたいかといえば、「佐村河内氏の聴覚障害が嘘ならば、彼の作品を評価した我々は被害者だ。」という連中は、物の本質を見抜けない節穴野郎であるとともに、障害者を上から目線で哀れんでいる鼻持ちならない差別主義者だと言いたいんです。


作品自体が優れているのであれば誰が作ろうが関係ない。それが関係あるという人は、作品の出来栄えを評価してるんじゃなくて、その著者の背景を哀れみというフィルター越しに評価してるだけである。本当に気分の悪い差別主義でありますな。あ〜気分悪い!


書籍のゴーストライター

有名人の著書はゴーストライターが書いた文章だと知らなかった人がどれだけいるだろうか?

少なくとも私自身は、有名人の著書なんて全てゴーストライターが書いている物だと思っていたし、日本人の99.99%がそういう認識だったんじゃないでしょうか?


共同制作とかゴーストライター名を併記するという表示方法もある事はあるし、徐々に増えつつある事も承知していますが、ゴーストライター名を表記する事に特別な意味は感じられない。


有名人の半生を綴った自伝的書物に、無名のゴーストライター名が記載されていたとして、それってユーザー(読者)にとって如何程のメリットがあるというのだろうか。むしろ邪魔なだけではないのか?

無名のゴーストライターにとっては、名前を売るチャンスになるかも知れませんが、それで名前が売れても「売名行為だ」と一刀両断されるだけなんじゃないのか?

どんなに素晴らしい文章に仕上げても、あれは有名人のゴーストライターで名が売れた物書きだというレッテルを貼られるのがオチなんじゃないのか?


そもそも、有名人の著書を本人が書いたモノだと思っていた人に聞いてみたい。

何万人もの従業員を抱えた社長さんや創業者が、自宅の書斎に何ヶ月も篭って自伝を書いていたとでも思っていたのか?もしそんな経営者がいたら、その会社なんてものの数ヶ月で倒産してしまうわ!

「どこの世界に己の承認欲求を満たす為に、従業員の生活を脅かしかねない執筆業に専念するボンクラ経営者がいるか」って事ですよ。


我々みたいな影響力など皆無なくせして承認欲求だけは旺盛な凡人が、毎日毎日シコシコとBlogを書いてるのとは訳が違う。経営者の行動には、数名から数万名の従業員とその家族の生活が掛かってるんです。悠長に自宅の書斎で自伝なんか書いてられないですよ。


しかし、成功者の生涯には人生のヒントになるようなエピソードが含まれているんです。それを掘り出して世に広めることは、数多くの読者の参考になるんですから、とても有意義な事だと私は考えております。


嘘をつくことは良い事ではありませんが、嘘が全て悪いという事でもないでしょう。

嘘が全て悪いと考えている人は、もう少し世の中を真剣に考えてみる必要があると思いますよ。


真実を告げるより嘘をついて騙した方が世の為人の為になる事だってあるし、真実を告げられるより騙し続けてくれた方が幸せだったって事もありえるんです。


19や20歳の若造やお嬢さんが「嘘は絶対に悪だ。」なんて清廉潔白を望むのならばまだ可愛げがあると思えますが、いい歳をしたはてなユーザーが、人を騙すのは悪だといきり立ってる様を見ると、「はてなユーザーには大人になりきれてないオッサンが多いんだな」と苦笑いですわ。


純粋無垢で清廉潔白なオッサンが多いという事が悪いとは思いませんが、純粋無垢で清廉潔白な人間なんかいないし、それを他者に求めるような偏狭な正義感の方が、社会にとっては害悪なんじゃないかと思う今日この頃です。