ロシア人の方が日本人より日本を勉強してるかも?って話
浅田真央選手のフリープログラムの演技が凄すぎて、世界中から賞賛の声があがっているようです。
なにせフィギュアスケートはド素人の私がゾクゾク震えるほど感動したんですから、スケート選手たちの感動は想像を絶するモノがあるだろう。
浅田選手に対する賞賛の声は、我々日本人としても非常に嬉しく、また有難い声である。
日刊スポーツのWEBサイトには、ロシア地元紙の記事が紹介されている。「アサダはサムライ」ロシア地元紙も感銘
ロシアの地元紙は、浅田の滑りから受けた感銘を隠さなかった。「スポーツ・ルー」の公式ブログで同紙記者が「私はサムライを見た。それはマオ・アサダだ。すでにSPで勝負の行方は分かっていたが、マオは他の女子には誰にもできない3回転半ジャンプに殉じて、ハラキリした」と振り返った。さらには「サムライにとってメダルが何だ! ハエだ! サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ」と熱くつづっていた。
この記事の「ハラキリ」という表現を疑問視する声もあるようだが、私自身は「ハラキリ」という表現は非常に的を得た表現だと感心した。
日本人は切腹に対する理解が浅い
現在の日本人の切腹に関する理解度とはどの程度なのだろうか?差しあたって思いつくのは以下の切腹だと思います。
などではないでしょうか。
切腹の認識が上記のようなモノであれば、浅田真央選手に対する「ハラキリ」という表現は違和感を覚えます。
ところが切腹の中には追腹(または供腹)と呼ばれる切腹もあるんです。
主君の死に殉じて腹を切る殉死です。
江戸時代になると幕府は殉死を禁止していますが、幕府が禁止した後も殉死は行われていたようです。
ロシア地元紙が、浅田選手の演技をハラキリ(殉死)と表現しているのは、浅田真央選手を侍に例え、トリプルアクセルに殉じたと表現している事からも明らかです。
点数稼ぎには不向きな上にリスクの高いジャンプに拘り続けた浅田選手の姿を、侍の二君に仕えずという美学に重ね合わせたのでしょう。
日本の武家社会は、中国の古典が大きく影響しています。「二君に仕えず」という言葉の出典も、中国の史記にある「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫を更えず」という言葉に基づいています。
ロシア地元紙が、命懸けでトリプルアクセルに拘った浅田選手を侍の殉死に例えたのは、日本の武家社会に対する高い知見があったればこそだと思います。
この記事を書いた記者は、本当に日本の文化を良く勉強し、深く理解してると思います。
蠅???
しかし私にも「サムライにとってメダルが何だ! ハエだ! サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ」のハエだ!だけは理解出来ませんでした。
サムライにとってメダルが何だ!サムライにとって唯一の勲章は不朽の名声だ」
だったら滅茶苦茶共感できるのですが、その間になぜ「ハエだ!」が入ったのか。
価値の無いものを表現するのにハエを用いる意味が良く判りません。日本人の感覚だと「一寸の虫にも五分の魂」です。無価値なものを表現するのに生き物を用いる事は無いでしょう。
ロシアでは無価値な物を表現する際に、「はえ」を用いる習慣とか文化があるのかどうかは知りませんが、この部分だけは謎のままです。
ただ、メダルの色に拘る人たちを揶揄する表現として、五月蠅く纏わり付くハエを例えたのだとしたら、キム・ヨナ選手の得点が不満で「再審査しろ!」と騒いでいる一部の人たちに対する皮肉が込められているようにも感じました。
結論
ロシア地元紙の記者は、一般の日本人より日本の文化をよく勉強し理解している。
ジャンプにこだわり続けた浅田選手の演技を侍の殉死に例えた表現は秀逸
この記事は、表向きは得点に拘らない浅田選手への賞賛だが、採点に不満を漏らす一部の韓国世論に対するアンチテーゼという裏の主張がある。
といった印象ですね。
最後に、私自身の主張ですが
浅田選手の演技はメダルの価値が色あせてしまうほど凄かった。
あの演技をみてしまったら、メダルの色や数に拘っている人たちがヒドク滑稽で空虚に感じてしまいます。
素晴らしい演技の前ではメダルの色や数、更には国籍さえも色褪せてしまうという事を実感しました。
今、日本と韓国の関係は冷え込んでいます。韓国では反日、日本では嫌韓が世の中を騒がせています。その事については人それぞれ自由にやってもらって結構なのですが、その反日や嫌韓とスポーツを関連付けるのは止めて欲しい。