感情論に対して理論で応戦するという事を考える。
なぜイルカだけが特別なのか? 日本のイルカ漁をイタリア版「WIRED」が擁護する
という記事に私がつけたブクマがこれ!
ロジック的には正論なんだが、「イルカや鯨は賢いから殺して食うな」という感情論者にはロジックは通用しない。理論VS感情論の対立は理系VS文系の闘争に酷似しており、人類の永遠の課題なんだよな。悲しい事に・・・
はてブのコメントは100文字なので、なかなか上手い事説明できてない気がするんで補足です。
はてブのコメントに書いてるように、この記事の内容はロジック的には正論です。
牛や豚の命とイルカの命に差なんてありません。
日本人の心の中には一寸の虫にも五分の魂という倫理観がありますが、命の尊さを問うのであれば、人であれ牛であれ魚であれ虫であれ命の重さは同じであるはずです。
命の尊さを問うならば、まさにロジック的には正論ど真ん中!!
しかし、日本の捕鯨やイルカ漁を非難している人たちは、そんなロジックの事なんか考えちゃいません。
「鯨は賢いから殺して食うな」とか「イルカは知的な生き物だから殺すのは残酷だ。」という主張はただの感情論です。
感情論VS理論という対立構造なんですから、意見が食い違うのは当然です。感情論に対して理論で反論しても、いつまでたっても平行線のままなんですよね。
理系と文系の討論が噛み合わないのと同じで、感情論と理論の討論も当然噛み合う事は無い。
悲しいけど、感情論に対して理論で応戦しても絶対に解決しない問題です。
それでは「イルカは賢いから殺すな」という感情論に、「他国の食文化に因縁つけるなボケ!」って感情論でぶつかるなら、議論自体はガッツリ噛み合うんですが、それだと最後は殴り合いの喧嘩になっちゃいます。
感情論VS感情論だとガッチリぶつかり合って、結果的には喧嘩(武力衝突)になりかねません。
そういう事を考慮すると、議論自体は噛み合わなくても感情論には理論で応戦するのが平和的なんじゃないかと思います。
それだといつまでたっても平行線のままで解決しないですけど、最悪の事態だけは避けられそうです。
今の段階では、噛み合わなくても良いから相手が感情的に非難するのであれば、こちらはひたすらロジックで応戦するしかないのではないか?という結論になります。
それが今考えられる最善の手段なのかも知れません。
ただし私は、フランス人が平和の象徴の鳩を食べようが、人間の友達である犬を食う民族がいようが、可愛いカンガルーを害獣として駆除する国があろうが非難したりしません。
容認出来ないような事でも、相手の立場や文化を尊重し、容認することが平和に繋がると思います。
まずは感情を押し殺して、相手の立場や文化を尊重する事を心掛けたいと思います。