佐村河内守さんと新垣隆さんに騙されたって思ってる奴は何なんだ?

最近見かけた花です。


エントリとは全く関係なしですwww

先日こんなエントリをしたんですが・・・

佐村河内守さん騒動に思う。作品が素晴らしいからといって罪が許される訳じゃ無いが作品には罪は無い。

この時には全く判らなかったというか、そこまで考えていなかったんだけど・・・このゴーストライター新垣隆さんって人について考えてみました。


一躍、時の人になっちゃった感の新垣隆さんですが、イロイロとググってみた結果、凄い才能を持ったピアニスト&作曲家&指導者らしいです。

すごい才能を持ってるからこそ感動的な作品を作れる訳で・・・この人が凡庸な人物だったら佐村河内守さんが現代のベートーベンとして人気を博すことは無かったのかも知れません。


ゴーストライターの是非や偽装の罪に関しては私自身は関心無いんですね。

更に、クラッシック音楽を好むような高尚な人間じゃございませんので、その作品がどれほど優れたものなのか全く見当がつきません。


それでも強く感じるのは、前回の主張したように本当に良い作品なら、作った人がどんな人物だったとしても関係ないという事です。

どんなに素晴らしい人格者が作った作品でも、駄作は駄作であってそれ以上でもそれ以下でもない。逆にどんなに悪い奴が作ったとしても名作は名作なのであります。


特に創作物と言うモノは、作者の人格や行動(悪行・蛮行)など関係なく、ただただその創作物の出来次第だと思うのです。

なぜか同業者だという人から擁護の声があがったりしてますけども・・・

初めて彼を知ってからかれこれ四半世紀近くになりますが、誠実で、普段は控えめで、人間性はとても優しく、しかし音楽の主張は明確で、素晴らしい耳と手を持つ高度なピアニスト、ピアノ教授でもあり、つまるところ、彼の悪口を言うような人が、ちょっと思い浮かばないような第一人者です。
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ

「芸術家が人格を評価されても嬉しくは無いだろうな!」と思います。芸術家に限らず物造りを生業としてる人ならば、己の人格よりも己が作った作品または商品が評価される方が嬉しいはずです。

私の場合はっきり言ってロクデナシですから、人格や行動が評価されることは100%ありえない訳ですが・・・自分が過去に作ってきた品物については評価して欲しいという気持ちがあります。

たとえそれが旋盤で作った一つの部品だったとしても、自分が書いた生産設備を制御するシーケンスのラダー図だったとしても、HTML+CSS HANDBOOKを見ながら自作したWEBサイトや自分でデザインなどをカスタマイズしたBlogだったとしても、他人に評価されるのは嬉しいモンです。


人格なんかより作品を評価して欲しいのが物造りをする人間の性なのでは無いかと思うんです。そんな考えは人として如何なものかとは思いますが・・・人間の性ってそんなモンだと思うんです。


そりゃ〜人柄も優れてて作り出す作品も優秀ならば、それが一番なんですけどね。


人格も優れてて、作り出す音楽も高く評価されているのですから、新垣隆さんという作曲家は立派だと思います。そういう人だから佐村河内守さんに利用されたんでしょうけど、それでもその作品が高く評価されていたのであれば本望でしょう。心のどこかに罪悪感が残るとは思いますが、自分の作品が多くの人に感動を与えたのであれば、それは作曲家冥利に尽きるってモンじゃないでしょうか。


本当に実力のある音楽家ならば、こんな事件で潰れたりしないですよ。今後はゴーストライターじゃなくて本名で素晴らしい曲を作って発表して欲しいと思います。


最後に毒を吐かせてもらいますが・・・

全聾の作曲家が作った曲という理由で評価してた人たちは「騙された。」という印象ばかりが先行するんだろうけど、そんなの自業自得だよ!!

他人を哀れむなんて思い上がった優しさが如何に傲慢な事か。その傲慢さゆえに騙されたという事を反省した方が良い。

「作曲家がどんな人間であれ、曲そのものが素晴らしければ問題ない。」「曲そのものが素晴らしいから作曲家の人となりや経歴は気にしない。」って考えの人は、騙されたなんて気持ちは微塵も感じてないはずなんですよね。


まあ〜この騒動で「騙された!」と怒ってる連中は、己の傲慢を自覚し反省しろ!って思います。