「ゆとり」と「老害」について、一点だけ指摘させて下さい。

時々読ませていただいているブログに「おや?アレアレ??」ってエントリがあったので、少し指摘させて頂こうと思います。


id:dobonkai氏の「ゆとり」と「老害」という言葉に感じる悪意-ネットの海の渚にて


ゆとり世代」がゆとり教育を受けた世代であり、ゆとり世代というのは被害者であるという主張には凄く共感するし、以前当ブログでも書いた事があると思う。


ゆとり教育を実施したのは政府であり、その政府を選んだのは当時の有権者。よってゆとり教育を推進したとは言わないまでも、容認してしまったのは私を含む当時の有権者なんですよね。


私は「ゆとり世代」が馬鹿にされたりしてるのを見聞きすると、「なんであんな政策を容認してしまったのか?」と強い罪悪感を感じてしまいます。また、政府がゆとり教育に踏み切った背景は、現在も続く日本の政治システムの致命的な欠陥部分であり、特定秘密保護法案の強行採決にも少なからず関係している問題なので、今後機会を見つけて言及したいと思っていますが、今はスルーします。


今回は私が「ゆとり」と「老害」という言葉に感じる悪意というエントリを読んで「おや?アレアレ??」と思った部分について指摘させて頂きたいと思います。

一部だけ引用させて頂きますね。

老害」という言葉がある。
この言葉がいつから使われ始めたのか私はわからない。
老害」の対義語に当たりそうなのは「ゆとり」なのだろう。
若年層を揶揄する言葉として定着してしまったゆとりという言葉。
この言葉に責められる若者は気の毒だし不憫だ。
あくまで個人的な推測だが老害という言葉はゆとりと揶揄された若者が考えだした言葉なのではないだろうか。そんな気すらしてくる。


私自身も「老害」という言葉がいつ頃から使われていたか判りかねるのですが、故城山三郎氏が著書で「老害問題」に触れています。城山氏が亡くなったのが2007年だったので「老害」は2007年より前から社会問題化していたと考えます。城山三郎氏は著書の中で「老害はいけないが、老人は有用だ。」と主張していた。


城山三郎氏の主張はごもっともだと思うし、私にとっては非常に参考になる考えでありました。


対して「ゆとり」という言葉が社会で使われるようになったのは、ゆとり教育が実施された2002年以降ですが、「ゆとり」がネガティブな印象として使用され始めたのは、ゆとり世代が社会に出始めてからです。高校生から「ゆとり教育」を受けたとしても卒業するのは早くても2005年以降という事になります。


2005年ごろから社会進出したゆとり世代が、当時すでに社会問題化していた「老害」という言葉を考え出すとは思えません。むしろ「老害」という言葉は「ゆとり」よりも古くから認知されていたと考えるべきではないでしょうか。


ちなみに老害について、前出の城山三郎氏は「どうして老害になるかというと、権力を持って居座るからです。」と書いていますから、老害とは権力を握ったまま手放さず、いつまでも影響力を持ち続けようとする老人の害だと考えていたようです。私もこの主張には同意します。その趣旨ではあの方なんかは典型的な老害でしょうね。(当ブログで名指しで批判した事もありますが、今回は実名は伏せます。)


今回のエントリは、時々拝見させていただいているブログに「おや?アレアレ??」って感じたので、読者の一人として老婆心ながら指摘させて頂いた訳でして、私自身の主張的なものは一切ありません。


時々拝見させて頂いてるのでスルーするのが少々心苦しかったというのが本音かも知れません。はてブの文字数じゃ上手くまとめきれなかったという事も含めて、当エントリで指摘させて頂きました。