虚構新聞騒動に感じる時代の流れ!盛者必衰の理

連日はてな村界隈で盛り上がっている虚構新聞問題Twitterでも大盛り上がりのようです。

私もはてブTwitterを連動させてるから、似たような感じになるのは良くわかる。はてブTwitterを連動させてる人が思いのほか多いんだよね。


まあ〜私自身は虚構新聞を楽しんでいるんだから良いとしても、虚構を叩いてる人たちが「デマだ!」「中傷だ!」と騒いでる理由も判らんじゃない。私は虚構新聞の記事はデマでも風刺でもなく虚構またはネタだと思ってる。

だが、多くの人が騙されてTwitterやFBで拡散しちゃう現象を見ると、WEBの世界も大きく変わりつつあるんだなあと実感しています。


SNSの流行で、WEBに関心の無かった人たちが大挙して侵入してきた

ひと昔前だったら、虚構新聞の記事に騙されて本気にしようモンなら、「騙される奴が馬鹿!」「情弱乙」「ググれカス!!」などといった冷やかしを受けたものである。


そういう経緯を辿って、我々はWEBの情報は玉石混在または多くの嘘の中に少しだけ真実があるという事を学んだ。


入手した情報が本当か嘘かをイチイチ検証する癖も身に付いた。

おかげで、テレビや新聞等のマスメディアが報じる嘘も見抜けるようになってきた。新聞やテレビの捏造や歪曲の影にはスポンサーへの利益誘導バイアスが存在する事も知った。ニューヨークタイム紙のジョン・スウィントン記者の発言から100年以上経ってから、我々はマスコミは知性の売春婦である事を実感したのであります。


それはWEBが多くの嘘の中に少しだけ真実がある世界だったからこそ身に付いたリテラシーなのです。


ところが昨今、TwitterやFBほか様々なソーシャルネットワーキングシステムが流行し、大勢の人がWEBに流れ込んできました。

彼等は嘘情報に免疫が無い人たちで「テレビは嘘言わん」とか「ネットで見た」って事を信じている人たちです。新しい情報は自分自身で検証するまで信用しないという旧時代のWEB住民とは違う訳です。

そしていつしか新しい住民(情報を鵜呑みにしちゃう人達)がWEBの中でもマジョリティーになってしまった。


我々のように「情報は自分で検証するまで信じない。」という人たちは既にマイノリティーになってしまったようです。悲しいですが、これが時代の流れとでもいうモノでしょうか。


自力で情報の検証が出来る人が、騙された人を「騙される奴が馬鹿!」「情弱乙www」「ググれカス!」と嘲り笑う時代は終わりを告げたように感じます。騙された人にそこはかとなく漂う思考停止臭を感じつつも、マイノリティーになってしまった悲しさを感じざるを得ない訳であります。


虚構新聞などは、そのリトマス試験紙的な役割りも果たしていたんでしょうね。


そして古き良き時代のネットユーザーはマイノリティーとして、新しい勢力(「テレビは嘘言わん」的な思考停止型新勢力)に駆逐されつつある訳です。


古き時代の自分で検証するまで信じない人たちは、細々と生き残った嘘だらけのテキストサイトを読み、途中で嘘と気付きつつも最後まで熟読し、「やっぱり虚構新聞だったか!騙されんぞコンニャロメ!!」と、一人寂しく充実するという不毛な行為を繰返すのであった。


新勢力の台頭と共に自分で検証するというリテラシーは衰退し、今後はまた更なる深みに落ち込んでいくでしょう。近い将来「リテラシーなにそれ?美味しいの?」って時代になりそうだと思います。


一部の旧世代ユーザーの中には、上手にシフトチェンジした人もいます。そういう人が虚構を叩いていると悲しくなりますが、新勢力にマジョリティーの座を奪われたんですから、時代に合わせて変化した者勝ちなんでしょうね。


まあ昔から虚構新聞が嫌いな人は一定数いたんですけどね。


虚構新聞頑張れ!

しかしまあ虚構新聞頑張れ!ってユーザーも少なからず存在するので、今後も虚構新聞は我々を楽しませて欲しいと思います。マイノリティーだっていいやん。楽しければOK!です。


最後に、虚構は虚構であってデマでも無きゃ風刺でも在りません。そして虚構が虚構でなくなった時(現実になった時)には、いつものように社主が「虚構でなくなりました。ゴメンなさい。」と謝罪してくれたら良いんです。虚構の社主が謝罪するのは、攻めすぎた虚構が現実化した時だけです。それで良いと思います。