尊厳死や安楽死についてイロイロと考える

麻生副総理の発言がメディアを賑わわせているようです。



発言の一部分だけを切り取って、悪意の見出しを作り出し、無理やり失言に仕立て上げるという、メディアの伝統的ネガティブキャンペーン手法が未だに健在な事が証明された気がします。

麻生氏の「サッサと死ねるように・・・」という発言は、時事ドットコムの記事を読む限り、自分自身の延命治療についての発言だと推測出来ます。しかし・・・見出しでファーストインプレッションを受けている読者が、そこまで冷静に読む事が出来るかどうかは疑問です。

この卑劣な情報操作は、「今後もメディアの伝統的手法として活き続けるんだろうな」という印象を受けました。

マスメディアの腐敗は今更追及したところで改善される事は無いでしょう。一世紀以上昔から指摘されているのに改善される事無く現在に至っている訳です。
記者の仕事とは、真実を壊し、公然と嘘をつき、真実を歪曲し、人を中傷し、富の邪神にへつらい、国と同胞を売って、日々の糧を得るものであります。

最近マスゴミという言葉が頻繁に使われますが、メディアの本質は昔も今も変わっていません。嘘をついたり、真実を歪曲するのはメディアの通常運転なんですよね。残念ながら・・・



まあ〜マスコミの腐敗なんて、今更取り上げるような話題じゃないんですが、取り上げられた発言が尊厳死に関わる問題のようですから、少しだけ自分の経験を書き残したいと思ったんです。

私の母は、脊髄小脳変性症1リットルの涙で有名になりました)で、7年間ほど入院していました。「喉に痰が詰まり呼吸が出来なくなっても自力で痰を切れない」という理由で、喉を切開して管を通しました。その後は声を失い、食べる事も飲むことも出来ず、点滴による栄養補給だけが栄養源でした。

それでも母は、5年以上ベッドの上で生き続けてくれました。



病院のベッドの上で、点滴だけを栄養源に、何の楽しみも無く、治る見込みの無い闘病生活でした。



母の姉妹に「もう楽にしてあげて欲しい。」と言われた事も何度もありましたが、日本には尊厳死を認める法律は無く、また社会的にも「尊厳死安楽死なんて認めない」って風潮でした。

誰かが母を楽にしてやるべきなんだろうけど、結局自分がその判断を下す事は出来ませんでした。

医学は日々進歩しているし、生きてさえいれば「そのうち治療の見込みが出て来るかも知れない」という甘い願望もありましたが、本当は「自分が母の命に終止符を打ちたくない。」という自分自身の弱さが判断を遅らせたと感じています。



ただ私自身は、尊厳死安楽死を認める法律が無かった。」という事実に救われている部分があります。

「なぜ早く楽にしてやれなかったのか!」という自責の念に対して、「当時は尊厳死安楽死は認められていなかった。」と自分を慰める事が出来ます。法的に認められていなかったと言う事実だけが、決断出来なかった私の唯一の自己弁護になっているんですよね。



数年後、今度は父が末期がんで終末期医療を行う事になりました。

在宅介護も行いましたが、ほぼ入退院の繰り返しでした。

母の闘病生活を知っていたし、そん後いろいろと勉強して、リビング・ウィルの事も知っていました。本人の意思で延命治療を拒否する事が出来る事も知っていました。

しかし私は、父には余命の事もリビング・ウィルの事も、延命治療の拒否が可能な事も教えませんでした。父も母の闘病生活は良く知っているので、自暴自棄になって「今すぐ楽にしろ!」って言い出す可能性が高いと判断したからです。ただし、お医者さんには「出来るだけ自然死に近い方法でお願いします。電気ショック等の延命治療は必要ありません。」と告げました。

お医者さんも「電気ショック等の延命治療は難しいでしょう。電気ショックで亡くなる可能性が高いです。」と言ってました。恐らく私の気持ちをいくらかでも楽にする為の方便だと思います。



母の死で学んだ事を、父の終末期には少し活かす事が出来たような気がします。



尊厳死安楽死については、今後ますます議論が必要になるでしょう。悲惨な介護生活を経験し、苦しい闘病生活の末に亡くなる肉親を看取る人が増えてくれば、尊厳死安楽死に対する社会の風潮も変わるでしょう。終末期の患者が苦しまずに死ねる制度だって確立される事と思います。



しかし、法律で尊厳死安楽死が認められていない事で、決断出来なかったという自責の念を感じずに、いや・・・感じつつも多少なりとも緩和される事で、かろうじて心の平静を保っている人間も少なからず存在します。

私の場合はリビング・ウィルの事を知っているので、延命治療を拒否する事だって出来ます。自分自身が終末期を迎えたときには、「サッサと楽にして貰う。」事にしています。母や父を楽にしてやる事は出来ませんでしたが、私自身は母や父の闘病生活で学んだ事を充分に活用するつもりです。

あくまでも己の判断だから延命治療の拒否が行えるのであって、家族にその判断をさせる訳には行かないと思います。もし、家族に判断させるような事態になれば、「延命治療拒否」を選択しても、延命治療を選択しても苦しむのは判断した(または判断出来なかった)家族です。正解の無い判断は、判断を迫られた人を苦しめる事になります。



尊厳死安楽死についての法整備は、判断を迫られた家族の心情を考慮したものにして欲しいと思います。肉親の命に終止符を打つ決断はナカナカ厳しい決断になるし、決断出来なければそれはそれで心の傷になる。残された家族が苦しまなくていいような法律にして欲しいと思います。