原子力発電の未来は大きく広がる

良くも悪くも人間は感情の生き物だ!!

しかし、未来を語るのであれば感情論ばかりではダメだと思う。

原発再稼動に反対するのであれば、原発なしでも電力需要を賄えるだけのプランが必要だし、原発を推進するならば原発のリスクを限りなくゼロに近づけるプランが必要だと思う。

ところが、推進派も反対派も感情論が先行している為に、お互いが額に青筋を立てて罵り合っているように見えて悲しい。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110905/biz11090515210008-n1.htm
経済同友会の長谷川閑史代表幹事の意見はもっともだと思うが、50年後に貢献する為には、反対派を説得出来るようなプランが必要だと思う。

原発に反対している人たちは原発が危険だから反対しているのであって、安全ならば反対では無い。という訳ではない。

原発が安全な発電施設であったとしても反対なのだ。

福島原発事故の被災者が気の毒だ」とか「かわいそうだ!」という感情から原発に反対している人や、原発に依存している自治体や住民に対する僻みから反対している人が多いので、原発のリスクが軽減されたとしても原発反対の姿勢は変わらないだろう。

そもそも原発事故と広島・長崎の原子爆弾を同一線上の問題として考えている人たちの中には「被曝」と「被爆」の違いすら判らない人も大勢いる。
http://e-shift.org/?p=166

まあ〜グリーンピース・ジャパンとかグリーン・アクションなどの人たちなので「被爆」と「被曝」の違いなんて気にならない人たちなんだろうな。「鯨は頭が良いんだから、殺して食べちゃダメ!」的な思考回路しか持ち合わせていない人たちだからね。


そこは被爆じゃなくて被曝だろ?あんたら日本人じゃないな!?って気持ちになります。
大事な部分が誤字だったら声明・要請文の説得力がないだろ?

そんな人たちを説得する為には、原発は必ず50年先の世界のエネルギー需要に貢献できる」という曖昧な意見は通用しないと思います。

感情的になっている人を考えさせるだけのインパクトが必要。

と・・・その前に・・・


原発を停止したとしても放射線のリスクが無くなる訳じゃ無い事を説明する事も大事だな。

使用済み核燃料が存在する以上、放射線のリスクは存在し続けるのです。

放射線の恐怖って言っても、その殆どは無知や思い込みから生じている事が多い。

人間が生きている以上、年間に2.4ミリシーベルト(世界平均)は被曝している訳だし、飛行機に乗る機会が多い人や御影石花崗岩)を多用した住宅に住んでいる人たちは更に被曝量が増える。神経質になりすぎると、海外旅行はおろか墓参り(お墓が御影石の場合)の回数も減らさなきゃならないし・・・レントゲンやバリウムなどの医療被曝も問題になってきます。

ちなみに私は、喫煙による被曝よりバリウムによる被曝を警戒しているので健康診断のときのバリウムは拒否します。(50歳過ぎたらバリウムものむつもりですが・・・)

人間として生きている以上、ある程度の放射線被曝は避けられないですよね。

私の場合、玄海原発から25キロメートル付近に住んでいるので、平均値よりさらに高い被曝量になると思います。(神経質になっていては住めなくなる)

個人的には国の電力政策であるベストミックスという方法がベストだと思っているんですよね。

大きなエネルギーには相応のリスクがある。安全なエネルギーなんて存在しないって事実に目を背けてはいけない。

風力には低周波による健康被害が付きまとっているし、現在推進している海上風力発電の場合、海や海に住む生物にどんな影響がでるか判っていません。

水力の場合、蓄えられたエネルギー(水の位置エネルギー)がダムの決壊等で大暴走する危険が付きまとっています。しかも、ダムには寿命があるんだから未来永劫発電し続けるなんて不可能なんです。

太陽光にいたっては、さらに大きなリスクが考えられるんだけど・・・太陽の活動によるリスクは現時点では回避不可能。太陽のエネルギーが人類に襲い掛かれば避けようがないんだから、リスクを考えるより「利用できるだけりようしましょう!」ってスタンスの方が良いと思う。

さらに地熱発電等にもリスクは付きまとっている訳です。

だから、それぞれの発電量を少量に抑え、それぞれのリスクを出来るだけ小さくする必要が在ると思います。

だから様々な発電方法を採用し、リスクを分散させるベストミックスという戦略は正しい。また、トラブルによる供給不足対策としても効果的なんです。

ただし、現在のように火力・水力・原子力が三本柱になっている状態はベストとはいえない。これじゃ〜毛利元就三本の矢的な思考から上積みがない。

出来れば、太陽光・風力・地熱などを加えて6〜10本の柱にする必要が在ると思います。

そのためには原子力発電の研究もやめる訳にはいかないと思います。

しかし、被曝と被爆の違いが判らない人や気にならない人たちを説得するには、原子力発電のリスクを限りなくゼロに近づける必要があります。一番効果的で説得力があるのは放射線が無害になる事でしょう。

アインシュタインの言葉に「人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい。」というのがあるんです。私もその通りだと思います。

人間の欲は無限ですから、安全よりも利益を優先し安全対策のコストカットを行う可能性は高い。東電が良い例だと思います。

原子力発電の未来は、人類の知恵がプルトニウムセシウムの性質を無害化出来るかどうかに掛かっていると思うんですよね。当然そのための費用を惜しんではいけない。

はれてプルトニウムセシウムの無害化に成功した暁には、原子力発電の未来は大きく広がると思います。


ただし・・・ウランだって有限の資源であって無限ではないという事実も忘れてはいけないんですよね。

核燃料に困窮し、御影石の墓石を荒らして燃料にするような未来は嫌ですよね。