青少年健全育成条例の改正論争は自己中心主義者同士の醜い争い

報道の自由表現の自由など、自由という言葉はかなり便利に使われてはいるものの、やはり尊重し遵守するべきだと思っている。

東京都の青少年健全育成条例の改正だって、表現の自由を侵害する悪法だと考えている。

まあ〜ヒステリックなオバサンたちがカリカリしちゃうような表現が含まれている漫画や二次画像に問題が無いとは言えないんだが、それでも条例で規制してしまってはイカンだろ。

明らかに表現の自由を侵害している。

ヒステリックなオバサンたちのように、自分たちが不愉快だからと規制しちゃうというのは明らかなる表現の自由の侵害であり、自己中心的な理由が原点なのに、青少年の健全育成にすり替えてしまうなんて・・・詭弁も甚だしい。

こういう自己中心主義者は大嫌いなんだよな。



報道する側の問題点

表現者やメディアは、報道の自由表現の自由の侵害だと激しく抵抗したものの、結局は自己中ババアや自己中都知事・シンタロウの屁理屈に言い負かされてしまった。

都議会議員の無能ぶりも顕著だった。

とりあえず、都知事都議会議員の程度は、都民の程度と同等な訳だし、東京都民が報道や表現の自由を軽んじている事が原因といえる。

それはそれで仕方が無いことだ。

都民の意識が低ければ、おのずと都知事都議会議員の質も低下する。それがぶっちゃけ多数決主義である民主主義の本当の姿だ。

しかし、表現する方に問題が無かったかといえば、問題はあったといわざるを得ない。

いくら二次元の非現実空間だったとしても、不快感を持つ人が少なからず存在する事は事実だし、いささかエスカレートしすぎで歯止めが効かない状況に陥りつつあった事も事実。特に女性誌(レディコミ等)の性表現については、成人男性である私ですら「酷いなこりゃ〜」と思う画像が多かった。もう20年くらい昔の話である。


また、報道するメディアにも問題がある。

口では報道の自由を主張しているくせに、スポンサーの利益ばかりを優先し、ある時は捏造、またある時は歪曲という偏向報道を繰り返していた。権力者やスポンサーに媚びへつらい、報道の自由を軽視していたのはむしろ報道する側の人間達ではなかったのだろうか。

本日も見かけたが・・・
http://www.j-cast.com/2011/01/19085869.html

なぜタレントがMBAを取得した記事に、過去の不倫騒動を書かなくてはいけないのか。更に不倫相手のプロ野球選手の実名を晒しているのに、現政権与党・民主党議員で内閣総理大臣補佐官細野豪志の名前は挙げていない。権力者に媚びるのは自由だが、それなら二岡の名前を挙げてはいけないだろう。

しかも、二岡選手の場合は、不倫騒動のおかげでジャイアンツから出ざるを得なかったのに、細野は政策調査会長代理の職を辞しただけである。

社会的制裁という意味では、二岡選手の方が厳しい制裁を受けており、細野は政策調査会長代理という安っぽい職を辞しただけで、社会的制裁は軽かった。

社会的制裁の重みを考慮すると、どちらかの名前を伏せて片方だけを書くならば、二岡ではなく細野のほうを書くべきだったと思うが、問題はそんな事じゃないな。

山本モナMBAを取得した記事に、過去の不倫騒動を書き込む必要など全くないといえる。完全に煽る為の悪意に満ちた記事だ。

こんな報道を繰り返しておいて、自ら報道の自由をないがしろにしておきながら、いまさら報道の自由を強調されても説得力に欠けるんだよな。



自己中心主義者同士の醜い争い

しかし報道関係者が報道の自由をないがしろにしていたとしても、報道の自由は尊重されるべきだ。

よって、東京都の青少年健全育成条例の改正は、自己中心主義者同士の醜い争いという事だ。

私にとって、子ども達に見せたくないのは、今回規制された表現内容などではなく、むしろ醜い大人同士の醜い争いの方である。

ヒステリックなババアの主張や、傲慢な都知事の傲慢な主張、無能な都議会議員たちの思慮無き判断、表現者たちの自浄作用のなさ、報道関係者の自己中&自己満足など、この東京都青少年健全育成改正問題には、自己中心主義者たちの醜い部分が余すところ無く盛り込まれていた。

ただし・・・都知事については、少し事情が違ったのかも知れない。

なにせ石原慎太郎氏は紙に欲情する性癖を持っているんだから、印刷物全てが規制されるべきだと考えているのかも知れない。

石原都知事が紙に欲情する証拠は、彼の著書の中に書いてあるモンなぁ〜

太陽の季節

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