東京都青少年健全育成条例改正の騒動を見て・・・

「コイツラ絶対脳みそが筋肉で出来てるんだろうな。」と思った。

東京都青少年健全育成条例改正を支持する人と、猛烈に反対する人たちのやりとりが、あまりにも見苦しく、感情むき出しで議論とはいえないシロモノだったからね。



基本的には反対

東京都青少年健全育成条例改正いや・・・東京都青少年健全育成条例自体がナンセンスで無意味だと感じている。

性に関することは人間という種の存続に関わる問題で、人間が避けて通れるようなものじゃない。

それを後出しジャンケンのような形で法制化して青少年から遠ざけることが、青少年の健全育成に繋がるとは到底思えないのだ。

お上は規制すればOKだと思っているようだが、法制化して成功した事例も挙げてほしいものだ。

アメリカの禁酒令では、酒造や酒販売がアンダーグランド化してマフィアの資金源になったし、徳川幕府は何度も禁煙令を発しているが全く上手く行ってない。

規制されてアンダーグランド化し、より過激化して蔓延する結果を招いている。

酒や煙草は嗜好品であり、無くなったら人間が滅びてしまうような類のものではない。それでも規制によって無くす事が出来ないのである。

これが人間の存続に関わる問題ならば、なおさら無くす事は出来ないだろう。

このような至極簡単な結論にたどり着かない、都知事都議会議員の脳みそは筋肉で出来ているだろうと推測する。

都知事都議会議員に限らず、なんでも法制化して規制すればいいと考えてる脳筋どもがなんと多い事か。嘆かわしい話である。

ついでに都知事の「こんなもの自分の子どもに見せられるか」という発言にも触れたい。

そもそも、エロ本を子どもに買ってやる親などいないだろう。アホか!?

エロ本なんてモンは、親に隠れてコッソリ見るという背徳感を感じながら見るからこそ面白いのであって、堂々と見れるような代物ならば、面白さは半減すると思うぞ。

全く的外れな発言だよ。



表現の自由

規制反対はいいが、何でもかんでも表現の自由で押し通そうとする反対派の意見も、感情論むき出しで見苦しい。

表現の自由は英語でfreedom of expressionである。freedomだから、基本的には無制限でいいと思うのだが、なぜ英語を持ち出したかというと、現在の日本の法律は大東亜戦争に敗戦した日本が、戦勝国アメリカに押し付けられた法律であるから、英語で意味を理解するべきだと考えるからだ。日本人が日本人の手で日本国憲法を作り直さない限り、憲法の解釈は英語に直して考えるのが正しいと考えている。「日本語で理解してもいいじゃないか」と言う人も多いだろうが、そう主張したければ日本人の日本人による日本国憲法を作るべきだ。

文面は、そっくりそのままの文面でも構わないから、アメリカから押し付けられた憲法ではなく、日本人によって承認された憲法であるという手順を踏まなければならない。こういう事はプロセスが重要だと思うんだよね。

アメリカから押し付けられた憲法を、日本語に訳して理解しているから、様々な憲法解釈が生まれるのである。本来、憲法なんてモンは単純明快で、なおかつ全ての国民が同じ解釈でなくては意味を成さない。

憲法論は、これくらいにして本題へ・・・

表現の自由を主張して際限なくオープンにしてしまったら、その不健全なコミックは売れなくなるよ。

あくまでも、親に内緒でコッソリ楽しむという背徳感がスパイスになっているシロモノなのに、オープンにしてスパイスが効いていない物になってしまえば、魅力は半減してしまうし、魅力がなくなれば当然売れなくなるのだ。

少しくらい厳しく規制されて、規制の隙間を鋭く突くような作品が生まれることが、業界の発展には必要不可欠なんだよな。

脳筋知事や脳筋議員と同じ土俵の上で争うよりも、「東京都青少年健全育成条例改正?望むところだ!!」という気概を持っていれば、今後の発展も期待できると思う。

それに・・・種の保存という崇高な概念からかけ離れ、単純により過激な刺激を求めるだけの作品ばかりになる方が、業界の危機といえそうだけどね。



反対されればされるほど

よく恋愛は、「周囲の反対が強ければ強いほど、逆に燃え上がってしまう」といわれるが、この考え方は全てにおいて似たようなことがいえる。

東京都青少年健全育成条例改正によって、エロが激しく規制されれば、より激しく盛り上がってしまう結果を招くだろう。


そういう自然の流れが理解出来ない脳筋野郎の罵りあいは、見苦しくって情けなく感じる。そして、最後は笑うしかなくなるんだよね。