裁判員裁判で死刑判決

先日、尖閣諸島の映像「本当の尖閣」を、海上保安官YouTubeに投降した事件の話題を書いていますが、私はこの裁判こそ裁判員裁判で審議するべきだと主張しています。

もっとも前回のエントリでは、恐らく不起訴処分になるだろうと予想していますし、きっと不起訴処分になると思います。


しかし、こういう事件こそ裁判員裁判で審議するべきだという主張は変わっていません。


そして昨日、裁判員制度について考えさせられるニュースが報道されました。

裁判員裁判で、裁判員制度導入後、初めての死刑判決が下されました。

私は裁判員制度の最大の問題は、「死刑」についてだと考えています。

自分が裁判員に選ばれて、凶悪事件を審議するときに死刑という判決が下せるだろうか。

「こりゃ〜どう見ても死刑は避けられない」という事件でも、出来れば自分は死刑判決を下したくないと考えるのが人情である。

私は死刑制度は存続させるべきだと考えているし、死刑に相当するような事件であれば、裁判員として死刑判決を下さなければならないと思っています。

しかし、イザ自分が裁判員になったとして「死刑判決」を下せるだろうか。

自分が死刑判決を下したくないばっかりに、不当に軽い判決になるのではないか。

そう考えると、死刑の判決を出すのは相当精神的負担になることが容易に推測出来ます。

私に限らず、多くの人が同じような不安を持っていると思う。


今回は、非常に残忍極まりない殺人事件の裁判だった訳ですが、裁判員の方々は大変な精神的負担を強いられたのではないかと思います。

報道では、裁判員の方が「思い出しただけで涙が流れる」と語っていたと報じられていますが、誰が裁判員を務めたとしても同じように涙を流しながらの審判になったと思います。

今後は裁判員を務めた事によって、PTSDになる人も出てくるだろう。

裁判員の精神的負担を少しでも軽減できるようなシステム作りが必要だと思う。

始まったばかりの制度だし、今後時間の経過と共に様々な改善が行われるだろうけど、裁判員の精神的なケアは最優先で取り組んで欲しいと思います。


最後になりましたが、今回裁判員を務められた方々にご苦労様といいたい。

そして裁判員の方々の精神的なケアは、国がシッカリ責任を持って行って欲しいと思います。