大切なのは考え方であって、発言者の人となりは関係ないだろ?

靖国参拝の是非について考えるならば、右翼が言おうが左翼が言おうが、共産主義者が発言しようが国粋主義者が発言しようが、大切なのは死者を敬う気持ちと祖国のために命を賭けた先人を敬う事なのではないのだろうか。

死者を敬う気持ちや祖国のために命を捧げた先人に対する感謝の念があるならば、靖国神社を含めた神社仏閣に参拝する気持ちが自然に湧いてくるものだと思う。

私は国民戦線(FN)のルペン党首がどのような人物なのかは知らない。

しかし「重要なのは祖国防衛のために命を落とした人々の善意だ」という発言は全面的に支持する。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100814/trd1008141545010-n1.htm

大事なのはルペン党首の人となりではなく、「重要なのは祖国防衛のために命を落とした人々の善意だ」という言葉であり、考え方だと思う。

靖国に奉られている人たちが、祖国防衛のために命を落とした人々である事は間違いない事実である。

A級戦犯が合祀されているから云々」という理屈はただの屁理屈だ。

靖国神社参拝の是非を議論すると、「軍靴の音が聞こえる」とか言い出す人たちがいるが、昭和40年代に生まれた私は、生まれてから40年以上の間に軍靴の音が聞こえたことが無い。どんな音なのかも知らない。

おそらく大半の日本人が軍靴の音など聞いたことが無いはずだ。

それでも軍靴の音が聞こえる人がいるのなら、早急に耳鼻科に行って検査する事をお奨めする。それでも聞こえるなら精神科で検査してもらうべき。
悪いことは言わんから、手遅れになる前に病院に行った方がいいよ。

東京裁判の違法性も考えず、「A級戦犯」などと喚き散らしている思考力の無い連中をマトモに相手にする気は無いのだが、戦勝国が戦敗国の指導者を裁くと言う事がどんなに異常なことか理解出来ない連中を見ると一言二言文句を言いたくなる。文句を言っても理解出来るような思考力など持ち合わせていない連中だという事など百も承知なのだが、私なりに判りやすく東京裁判の違法性を指摘するが

戦勝国が戦敗国の指導者を裁くと言う事は、個人の喧嘩に例えると喧嘩に勝った奴が負けた人間を裁くという事である。こんなモンは裁判とは言わん。

裁判と言うのなら客観的および法の下に公正・公平に判断できる第三者が裁判に関わるべきである。東京裁判においては、この最重要な条件が満たされていない。

ちなみに、戦勝国側で裁判に参加したインドは「全員無罪」を主張していたらしい。

A級戦犯という判決は違法な裁判の判決であり、早急に改める必要があるんじゃないか?

ただ・・・東京裁判の違法性については今後も考えていく必要があると思うが、今回はこれくらいで止めておきます。


今回のルペン氏の「重要なのは祖国防衛のために命を落とした人々の善意だ」という発言に対して全く異論は無いし、日本政府の対応にしても「日本政府の問題なので何もいえない」と語ってる。極右政党の党首かも知れないが、発言自体は真っ当な発言だし、日本政府に対する配慮も感じられる立派な発言だと思う。

政府の人間が靖国神社に参拝するだけで大騒ぎする連中よりは国際的な考え方、良識ある考え方の出来る人物なんじゃないかな。

ルペン氏を批判する人もいるようだが、政治家に対して賛否両論がある事は別に珍しい事じゃない。

全ての人の利害や思想が一致する事は無いのだから、賛否両論あるのが一般的だ。

中韓が「靖国を参拝するなんてケシカラン」と騒ぐが、内政干渉も甚だしい行為だと思うよ。


靖国を参拝するときは「祖国防衛のために命を落とした人たちへの感謝の気持ち」で参拝すればいいと思う。

常に靖国神社に参拝しなければならないという事ではなく、日々感謝の気持ちを忘れずに、機会があれば靖国神社に参拝すればいいと思う。国会議員なんて一年の半分以上は靖国神社の近所にいるんだから、毎月一回とか季節ごとに参拝するようにすればいいと思う。

年に一度とか、特定の日に参拝するから変な言い掛かりをつけられるのであって、毎月一回参拝していたら変な言い掛かりをつけられずに済むんじゃないかと思う。