なぜかノスタルジックな気分になった銀河鉄道999
昨日(厳密には一昨日)からBS2で『銀河鉄道999』を放送しているんですが、私は少年時代にこの名作・銀河鉄道999を真剣に見たことが無かった。
当時は小学5〜6年生くらいだった思うが、野球少年だったため少年野球チームに入り野球ばっかりやっていた。
練習が終わって家に帰ると銀河鉄道999の放送時間には間に合わなかったんだと思う。
何度は見た記憶があるのだが恐らく4〜5回見たくらいなんだと思う。
全体的なストーリーは判らないし、最後はどんなエンディングをむかえるのか判らない。
「主人公の星野鉄郎が機械の体を求めてメーテルと旅をする」という大まかなストーリーだけは記憶しているので、全く見たことが無い訳じゃ無いが特に懐かしいと感じるアニメではなかったように思う。
ところが・・・
イザBS2の放送を見出すと、妙にノスタルジックな気分になった。
遠い昔に忘れていた何かを思い出しかけているような不思議な気分だ。
遠い昔の忘れ物を、今ならなんだか「思い出せる。」「取り戻せる。」ような気分になり、なんだか放送が終わった後でも落ち着かない。
まとめて放送されるんだから今度はちゃんと最後まで見られるんだけど、なぜか落ち着かないのである。
私にとって銀河鉄道999は「宇宙戦艦ヤマト」や「機動戦士ガンダム」ほど思いいれのあるアニメではない事だけは間違いないはずである。
いま感じているノスタルジックな感情はなんなんだ?
銀河鉄道999に関する強烈な記憶が心のどこかに眠っているのかも知れない。
辛い思い出なので意識的に記憶の引き出しの奥に封印された記憶なのかも知れない。
ちなみに銀河鉄道999の印象と言えば、主人公の鉄郎よりメーテルの印象の方が強い。
メーテルの魅力と言えば、謎の美女という設定で非常にミステリアスな存在だった事だと思う。また美しくて優しくて強いという設定に、世の中全ての母性の集合体のような印象すら感じていた。
全ての母性の集合体のような印象でありながら、宇宙そのもののような印象もある。
メーテルというキャラクターは本当に魅力的な設定になってると思う。
これは私なりの推測だが・・・
実家が商店だったため多忙な母の代わりに幼少の頃から祖父母に育てられ、母の愛を感じながらも祖父母に遠慮して母の愛を素直に受け入れられなかった少年時代の後悔の念や記憶が刺激されているのではないかと思う。
まあ、最後のエンディングを見る頃には、この不思議で切ないノスタルジックな感情の理由も明らかになるだろう。
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