言ってる事は正論だけど、説得力が無い見本

言っている事は正論だけど、この人が言っても説得力が無いって事は多いんだけど、河野太郎氏のブログは典型的な見本のように感じた。

http://www.taro.org/2010/07/post-785.php



まず、間違いを指摘させてもらうと

民主主義には権利と義務がつきまとう。権利は選挙権であり、被選挙権だ。そして、義務も全く同様に選挙権であり、被選挙権だ。

選挙権や被選挙権は権利であり、義務ではない。

ただし、権利を行使する以上、選挙結果に対しては責任を持たなければならないし、選挙結果に対して責任を負う義務はあるのだが、あくまでも選挙結果に対しての義務であり、選挙権や被選挙権を行使する義務など無い。

もし被選挙権が義務だとするなら、25歳以上の有権者は全員立候補しないといけなくなるだろ?

そういう事が理解出来ないのが世襲議員クオリティーなんだと思う。



三バン

そもそも一般の人たちに「納得出来る候補者がいないのなら自分自身が立候補しろ」と宣言しちゃう神経が異常だ。

世襲議員は先代から三バンを引き継ぐから、被選挙権を行使する事に対するハードルはほとんど無い。

ところが一般の有権者が被選挙権を行使する為には、まずお金(供託金等)が必要となり一番安い市会議員選挙でも30万円が必要である。

現在の若年層の収入状況では30万円の供託金すら困難だし、今回の参院選に出馬するなら選挙区300万円、比例区600万円の供託金が必要である。

しかも、農家や自営業者ならば仕事を続けることも可能だが、サラリーマンの場合はそういう訳には行かない。

「一介のサラリーマンが奮起して、選挙に出馬しました。」っていう人が言うのならば

手を挙げた人間がろくでもないならば、自分が手を挙げる。自分が手を挙げる覚悟と勇気がないならば、それを持って手を挙げた人間の中からベストを選ぶ。それが民主主義だ。

という台詞はカッコいいし十分説得力があるのだが、先代から三バンを引き継いだ世襲議員が言うと説得力の欠片も無いと感じてしまう。


ちなみにお金の話は三バンの中のカバンの事である。


続いて地盤にも触れておきたい。

この地盤に関しては、先代と同じ選挙区からは出馬出来ないというルールを作れば、世襲議員だろうが一般人だろうが同じ土俵で戦える。

しかも、地盤に関わるシガラミも断絶出来るのだからサッサと法制化すればいいと思うのだが、そうなると世襲特権は減るものの、秘書等の後継者が地盤を引き継いだ場合なども考慮しないといけないので難しい部分がある。

たとえ後継者が地盤を引き継げないというルールを作っても、抜け道だらけのザル法になるだけだろう。
(血縁や元秘書などは判り易いけど、後援団体等が後継者を擁立する場合などは、先代との関係がハッキリしない)

そして・・・一番肝心なのは看板である。一般人が被選挙権を行使するだけなら供託金などのお金の都合さえつけば行使出来るけど、知名度だけはどうしようもない。

まあ〜田舎町の市会議員選挙ならば、親戚縁者が多いとか、地元の有名人という人達が農業や自営業を営みながら出馬して市会議員になる事もある。

しかしサラリーマンだと困難である。実際に「田舎町の市会議員の報酬では飯は食えない」と言われている。

市民にもっとも密着している市会議員の報酬が、議員だけじゃ飯が食えないレベルだというのも不思議な話で、所属政党の代弁しかしない国会議員の報酬が高くて、市民の代弁者である市会議員の報酬が安いという状況も改善の余地があると思う。

前にも書いた事があると思うけど、代議士の仕事は国民(有権者)の意見を代弁する事である。

所属政党の党利・党略・党則などよりも国民の声を優先するべきなのに、オツムの出来の悪い連中(政治家に限らず)には理解出来ないらしい。

ちなみにマスコミが発表しているのは国民の声ではありません。マスコミが発表している世論調査結果は、かなり人為的に作り上げられた世論であり、マスコミがスポンサー様の顔色を覗いながら作り上げるので信用できるようなシロモノでは無い。
(特にテレビはその傾向が強いようだが、一部の新聞も酷いのがあるようだ)

やはり足しげく地域を回り、住民の声を一つ一つ丁寧に確認するしか正確な有権者の声を聞くことは出来ない。

そういう現状を考えると、国会議員より市会議員や県会議員の方が、有権者にとっては有用な存在であり、国会議員と地方議員の報酬の格差というのは是正されるべきだと思う。

国会議員と地方議員の格差が是正されたとしても、一般人と世襲候補の差が是正される訳じゃ無いけど・・・ついでにちょこっと触れてみました。


世襲候補が先代から三バンを引き継いでいる状況で、河野太郎氏の「手を挙げた人間がろくでもないならば、自分が手を挙げる。自分が手を挙げる覚悟と勇気がないならば、それを持って手を挙げた人間の中からベストを選ぶ。それが民主主義だ。」という主張は、所詮口先だけの綺麗事に過ぎない。

特に看板を引き継いだ候補者に対抗するには芸能人並みの知名度が必要であり、その事が無能なタレント議員を多数輩出してしまう原因になっている事を自覚して欲しい。
誤解が無いように補足しますが、タレント議員が全員無能という意味ではなく、あくまでも大多数のタレント議員は無能って事です。
(元スポーツ選手なども含む)


しかし河野太朗氏の主張は、世襲議員が言うから説得力が無いのであって、正論である事は間違いないでしょう。不満なら自分が手を挙げる事も必要だしね。

ただし、世襲議員が言っちゃ〜イカンよって話です。

世襲候補が立候補する時には、勇気や覚悟なんて必要ないですからね。
しかし政治家のご子息の中には、とんでもないバカ息子とかが実在する(息子の不祥事をもみ消すのに必死な議員もいる)らしいから、一概には言えないけど・・・

政治家のドラ息子が不祥事を起こし、政治家が圧力をかけてもみ消すなんて、ドラマや漫画の世界だけの話じゃないようです。

私は、政治家が自ら交通違反を犯し、圧力をかけてもみ消した人も知っているんだが、それくらいは良くある話だろうし、政治的圧力だったのか寄付をしてもみ消したのかが判らないのでオフレコって事にしてもらいます。

ちなみに私は、警察署などにある交通安全の看板をみると、思わず寄贈○○○○って書いてあるのを探しちゃうんですよね^^;

もちろん関係ない話だと思うんですけどね。



申し訳ありません。話がそれちゃいました・・・



私の投票

先日の参院選ですが、私は白紙で投票するなり該当者なしで投票するなり、投票行動も考えるべきだと考えていたんですが、投票直前に「しかし・・・このまま民主党に好き勝手に引っ掻き回される訳にはイカンよなあ」と考え直し、自民党の候補者と自民党に一票投票しました。マスコミ風に言えば「ブレた」って事になるんでしょうね。しかし「ブレた」んじゃなくて、「思いなおしたんだ」と反論させて頂きます。それほど現政権に不信感を持っているって事なんですけどね。


しかし、どっちが良いかとかどっちがマシかって判断基準なら満足なんだけど、どっちがより悪いかって判断基準で、民主党じゃ拙いから自民党に投票したんだけど、この自民党の大勝という選挙結果には責任を持たなきゃイカンですよね。選挙なんだから、もし民主党が勝っていたとしても選挙結果には責任を負うんですけどね。

しかし選択肢が、自民党候補・民主党候補・共産党候補の三人だけなんて、寂しいものである。ちなみに私は選挙区に候補者を立てていない政党には比例区でも投票しない主義である。
(政党として地域に責任を感じているかどうか疑問だから)

そういう意味では、勝ち目がなくてもキチンと候補者を立てる共産党を評価しているんですよね。共産党に投票する事は今後も無いんだろうけど、政党として各選挙区に候補者を擁立するという姿勢だけは高く評価している。その部分に関しては私も河野太朗氏の不満があるなら自ら手を挙げるべきという考え方に賛同する。ただし、やっぱり世襲議員が言っちゃ〜ダメである。



最後に一言

これは大切な事だから一番最後に書かせて貰いますが、以下に引用している河野太朗氏の主張には激しく反論します。

民主主義はそんなに甘いものではない。立候補している候補者はろくでもない、気に入らない、だから×、あるいは白票を入れよう、自分は安全なところで何もしない。そんな都合のいいことが通るわけはない。

×をつけて投票しようが、白紙で投票しようが、全ての国民は選挙結果に等しく責任を負うのです。河野氏の「自分は安全なところで何もしない。」という主張は全く的外れな主張です。

「私は白紙投票したのだから、選挙結果に責任を負わない。」なんて主張が通る訳じゃ無いだろ?

選挙権を行使しようがしまいが、自分は安全なところにいるなんて事は出来ないのです。

白紙・拒絶という意思表示だって大切な国民の声なんだという事を理解するべきだと思います。