世界中の人々を救える才能と実力があるのに、なぜ参院議員なんだ?
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100615/plc1006152358024-n1.htm
沖縄選出の議員だから、基地問題については深刻に考えているんだろうな。
こういう時にこそ大いに情報を発信し、沖縄の人たちの声を中央に届ける事が大切なんだけど・・・
どうも喜納昌吉さんが国会議員という事には抵抗があるんですよね。
沖縄の人間として、沖縄県民を救いたいと言う気持ちから議員になったんだろうけど、政治で沖縄を救うよりも、本職の方で多くの人々に訴えかける方がより多くの人々を救えるんじゃないかと思うんですよね。
名曲「花〜すべての人の心に花を〜」は、世界60カ国以上で3000万枚を売り上げたという名作である。
しかも、貧困に喘いでいる国々を中心に売上げを伸ばした。
世界中の貧困に喘ぐ人々を救えるような類稀なる才能を持っていながら、なぜ参議院議員になんぞなったのか・・・私には理解出来なかった。
参議院議員で救える人々は、最高に影響力を発揮したとしても、日本人および日本に関連する人に限定される。
沖縄の現状を何とかしたいと言う気持ちは理解出来るが「喜納音楽ならば世界中の人々を救えるのだから、音楽で人々を救ってほしい」というのが私の思いである。
日本の政治・経済が行き詰っているのも事実だが、日本はまだ平和である。
人間にとって何が一番不幸なことかと問われれば、私は「人と人が殺しあう戦争と言う行為が一番不幸な事だ。」と答えるだろう。
そして「戦争の主な原因は貧困である」と答えるだろう。
以前、麻生太郎氏が外務大臣だったころ、「『戦争の原因は宗教だ』とと言う人がいるが、あれは嘘だ。キリスト教国のチリでは、ユダヤ教徒とイスラム教徒が平和に暮らしている。戦争やテロの原因は貧困と絶望だ。」と語っていたが、全くその通りだと感銘を受けたことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=E21Fv8-A47s&feature=related
麻生氏の考えが100%正しいかと言えば、さすがに100%とは言い難いんですが、私もテロや戦争の主な原因は貧困だと考えています。
「金持ち喧嘩せず」という言葉があるくらいだし、世界中の人々が裕福ならばテロや戦争は激減するはずである。命を懸けなきゃいけないほど貧乏のどん底で喘いでいるから、命を賭して戦うのである。そのままで大人しくしていても餓死するしかないくらい貧しいから、命をかけて戦うしかないのである。
誰だって死にたくないし、好き好んで死んでいく人間なんていないのだ。
そして戦争を繰り返す事により、軍事費が膨れ上がり、更なる貧困に繋がるという悪循環に陥るのである。
色んな人たちが平和を求めて様々な活動をしているが、未だにコレといった成果が挙げられていないのが現状である。
政治の力には限界がある。せいぜい幸せの最大公約数を追求するのが関の山である。
ところが喜納昌吉氏の「花」は、貧困に喘ぐ国や地域で爆発的に支持された。喜納音楽は貧しさに喘ぐ人たちを救う力があるのだろう。
そして貧困に喘ぐ人々を救えるという事は、テロや戦争の芽を摘む事に繋がるのではないか?
正直な話、現在世間で騒がれている不祥事と言うのは、相撲界や芸能界および政治家の不祥事ばっかりである。なぜ世界中の人々を救えるだけの才能と実力を持っていながら、不祥事続きの政治の世界に居つづけるのか。
考え方や主義主張は人それぞれなんだから、喜納昌吉氏が政治の世界で活動するというのであれば、それは尊重しなければならない。しかし、喜納昌吉という人物が音楽の世界で活動すれば、政治家なんぞよりもはるかに多くの人々を救えると思うと、なぜ議員なんぞ続けているのか疑問しか沸いてこない。
個人的には、喜納昌吉という人物は音楽の世界でこそ輝くし、より多くの人々を救えると考えているので、喜納昌吉氏には音楽の世界に帰ってほしいと思う。