まずは明確なビジョンが必要だ

菅直人氏の新政府の閣僚人事が行われていますね。

小沢色を排することで支持率が上昇したと言う分析をする政治評論家が多いんですが、政治評論家という人はそんな根も葉もない推測を語るだけで高額な報酬を得ているのかと思うと羨ましいと思う今日この頃です。


確かに小沢一郎氏の存在が見えない閣僚人事のようだが・・・

民主党という政党が、小沢一郎氏の豪腕によってまとまっていた政党で、小沢氏の影響力が薄れたことで民主党の分裂を懸念する政治評論家もいるはずなんだけど・・・

やっぱりテレビという媒体は、テレビ局側の意向に沿ったコメントを強要しているんじゃないかと疑惑が浮かぶんですよね。


テレビ局の意向に沿ったコメントばかりを垂れ流すんだから情報統制じゃないかと思うんですよね。

しかし、日本人の多くがテレビ局の垂れ流す情報に染まっているので、いまさら視点を変えた報道をしても無意味なんだろうけど・・・


肝心なのは「新政府が発足して、我々庶民の生活はどうなるんだ?」って事だから、今回はテレビ局の情報統制疑惑はスルーしますけど、一応怪しげな報道姿勢だという事だけは指摘しておく。



庶民の生活はよくなるのか

菅新総理の支持率が高いのはご祝儀相場という見方も出来るし、今ひとつアテに出来ない情報ではある。

しかし、世襲議員ばかりが総理大臣になっていた事も事実なので、より庶民の感覚に近い菅直人氏が総理になったことは一歩前進と考えたい。

しかし、残念ながら現在の日本ではこれ以上良い社会にはならないと思う。

菅総理だからという理由では無いんですけどね。

社会がよくならないのは政治の影響ではなくて「政治家が何とかするべきだ。」と考える依頼心の強い国民性に問題がある。

昔の日本人がどんな人たちだったのか、私が生まれる前の事など私には判らない。

しかし、少なくとも今の日本人は依頼心の強い国民性である。


そして一番問題だと思うのは、良い社会がどんな社会なのか国民が判っていない点だと思う。

良い社会とはどんな社会なのかが明確になっていなければ、どんな社会になろうとも国民が「良い世の中になったなあ」と実感する事は出来ないのだ。

ゴールが決まっていないんだから、ゴールインする事はないんですよね。

ゴールがないマラソンを走っているようなものである。

ゴールのないマラソンには勝者や敗者は存在しないし、良いか悪いかなんて判らない。

結局不都合なことを政治や社会の責任だと思い込みたいだけである。

選挙の時に「誰が議員になっても一緒だ」と言う人がいるが、どんな世の中にしたいのか明確に出来ない人にとって、その意見は正しいといえる。

ゴールが無いんだから誰が走っても勝負は決まらないのである。

どんな世の中が良い世の中なのか決まっていないのに「世の中を良くしろ」っていわれても出来るわけ無いのである。



日本をより良い社会にする為に

日本をより良い社会にする為に必要なのは政権交代や総理の首のすげ替えじゃない。

より良い日本にする為に一番重要なことはどんな世の中が好ましいのかって事を明確にすることである。

良い世の中はこんな世の中なんだよって明確なビジョンを持つことである。

「まず明確なビジョンを持ちましょうよ。そうしないとより良い社会なんて実現しないんだから」って思うんですよね。より良い社会がどんな社会なのか?まずはゴールを決めなきゃ話にならないと思うんですよね。