批判される人の方が、批判もされない人よりも頑張っている!

国会議員の皆様や自治体の首長さんなどに批判が集まる事ってありますよね。


例えば、東京都の青少年健全育成条例改正案などは、政策自体が「表現の自由を侵害する」という理由で批判されているし、ゆうちょ銀行の預金額の上限が引き上げられると「民業圧迫だ」と批判されます。

こういう国や自治体の運営に批判が集まるのは悪い事じゃないんですよ。

全ての人の利害が一致するなんて事は無いんだし、常に賛否両論があるべきなんです。

私の個人的な見解はイチイチ説明する必要は無いんだけど、折角だから上記の2点については個人的な見解を書きます。



東京都の青少年健全育成条例改正案

たしかに猥褻な表現を「表現の自由」で肯定していいものかどうか?

私も成人男性だから、その類の本を読んだり・・・見たりという表現が正しいかな。

その類の本や雑誌を見ますよ。

「どこまでが認められて、どこからが認められないのか」という線引きは難しいですね。

これは法令化されても取締りって困難だと思うよ。(現実論)

しかし、女友達の部屋で見たレディコミって奴!

あれはイカンね。

猥褻だし、エグイですわ。

エッチな本というよりえげつなくて気持ち悪い本だと思った。

同じエッチな事を考えるにしても、男と女じゃ感じ方が違うんだよね。きっと。

大抵の男の子は、レディコミを読んだら気持ち悪くなるんじゃないかな。

私は「自分は人並みにスケベな男だ」と思っているが、あの漫画は容認出来ん。

本屋に並んで立ち読みしている女性を見たことが無いから、本屋に並んでいても気にならないが、男の子がコンビニなどでエッチな本を立ち読みしていたら、嫌悪感を抱く女性がいても不思議じゃない。

コンビニや書店でレディコミを立ち読みしている人を見たら、私は耐えられないほどの嫌悪感を抱くだろう。

個人的な感情だろうけど、同じような男性は多いんじゃないかな。

だったら、逆に女性が嫌悪感を抱くという事も理解しなきゃいけないよね。

しかし、条例で取り締まろうというのは如何なモノかと思う。

先に主張したように、どこまでが許されて、どこからが許されないのかって線引きが難しいので、曖昧な基準で取り締まるようになるだろ。

取り締まる側の主観によって取締りの基準が違うって事になったら、取り締まる人の暴走を招きかねない。

曖昧なルールによってもたらされる弊害を考えたら、「青少年健全育成条例改正案に賛成」とは言えないなあ。

東京都の条例だから、東京都で決めてくれたらいいんだけどね。

本当に基準が曖昧な条例になると思うよ。



ゆうちょ銀行の預金額の上限

民業を圧迫する事になるのか、あまり影響が無い事なのかは、こればっかりはやってみなきゃ判らん話で、推測しようにも推測するだけの材料が無い。

しかし、民間の金融機関が反対するのは必至だし、メガバンクが反対した場合、政府はごり押し出来るんだろうか。

タダでさえ、日航不良債権を押し付けられているメガバンクが、黙っていう事を聞くとは思えない。

「ゆうちょの上限を引き上げるなら、我々は日航への追加融資を見直します。他の一般企業と同じ査定で審査して、融資限度額を設定させていただきます。」って事を言い出したら、政府はどんな対応をするんだろう。

日本政策投資銀行に一本化するんだろうか?

民間の金融機関に「グズグズ言わんと、政府が出したれ言うた金はサッサと出したれや」という訳にもいかないだろうし、一般企業と同じ査定をするなら回収困難な日航への追加融資なんて絶対に無いよな。

ゆうちょの限度額については、個人的には民業圧迫は必至だけど引き上げてもいいんじゃないかと思うよ。

その代わりと言っちゃ問題があるかも知れないけど、日航への追加融資は押し付けないって約束するべきかな。



批判される人の方が、批判もされない人より頑張っている

どんな議論にも賛否両論あるし、私の意見にも「馬鹿な事を言うな!猥褻な表現は断固取り締まれ!!」とか「レディコミはえげつなくない!」とか「ゆうちょの限度額引き上げは民業を圧迫するから認められん」「他人事だと思って!」など、様々な批判的印象を持つ人も多いでしょう。

もちろん、青少年健全育成条例改正案に対する見解は気に入らないが、ゆうちょ限度額については同じような考えだって人もいるでしょう。

人それぞれ考え方は違うし、利害だって一致しないのだ。

だから、なにか行動を起こそうとすると、厳しい批判に晒される事になる。

また「同じ考え方だから、味方するよ」って人も出てくるでしょう。

こういう議論は必要なんですよ。

批判を受ける人は、何かを行動を起こすから批判されるのであって、批判に晒されるという事は大事な事ですよね。

何も行動を起こさない人っていうのは「何もせん!」と言われる事はあるが、基本的に何か行動を起こしている訳じゃ無いので厳しい批判にさらされる事は無い。

人に批判されない人とは、なにも行動を起こさない人だといえる。

そして、日本の社会は衆愚の真っ只中にいるので、メディアが批判している人を一緒になって批判したり、隣の人が批判しているから自分も批判する風潮が強いようだ。

例えば、国会議員は国家・国民の為に新しい法律や制度を考えるのが仕事だ。

仕事をすればするほど厳しい批判に晒されるものなんだよね。

批判もされない国会議員なんて、国会議員としての仕事をしていないって証拠なんだよ。

まあ〜金の問題やプライベートの問題で批判されているのは論外なんだけどね。

政策についての批判は、ネガティブに捉えてはいけない。

むしろポジティブに捉えるべきだ。

批判も受けない政治家などは、自分は政治家として何の仕事もしていないって事を自覚するべき。

政治家に限らず、何か行動を起こせば批判はツキモノ。

批判されるという事は、影響が大きい仕事をしていると自信を持って良い。

批判もされない人間より、批判に晒される人間の方が頑張っている。

少なくとも、ちゃんと行動を起こしている。

人を評価する時には、そういう視点で評価するべきだと思う。

メディアに流されたり、周囲の人に流されて、誰かを批判するような風潮は改めるべきだ。