父が再入院
昨日の午前中の事だ。病院に検査に行く為に父を起こしにいった。
元々、昼と夜が逆転した生活を送っていた父ではあるが、入退院を繰り返し、自宅で在宅介護をするようになってからは、一日中ベッドで寝ているせいか、午前中は熟睡している事が多い。
父 倒れる
しかし、その時ベッドには父の姿は無く、次の瞬間ベッドの奥に倒れている父の姿が見えた。
「親父!どうした?」と尋ねても反応は無かった。
父の近くに行って「どうした。大丈夫か?」と聞くと、うつろで焦点の定まらない目を開け「お前は誰だ?」と不安げに尋ねた。
父と子の二人暮らしである。私の事が判らないとは・・・
認知症発症か?たしかに兆候らしい様子は感じていたが、イキナリ私すら判らなくなるものだろうか?
しかも、焦点が定まらず、右目と左目が違う方向を向いている。
私が「目が見えんのか?」と尋ねると、「目が見えん」と答えた。
恐らくベッドから落ちたときに頭を強打したのではないだろうか。
私は、父に「親父!ベッドに上げるぞ」と告げ、上体を起こし、両脇の下から両手を回し、父の身体をベッドの上に引きずり上げた。
すると父は「ありがとう」と言った。
救急車で搬送
急いで119番に電話をして、救急車を要請した。
救急隊員が到着した時には、父の意識レベルは相当低下していたように感じた。
かかりつけの病院に搬送され、検査を行った結果、父は頭を強打した訳ではなく、「脳梗塞を発症、その後ベッドから落ちたんでしょう。」という主治医の意見を聞いた。
父は自力歩行が困難になり、よく転んでいたので、今回も転んだんだと思い込んでしまっていたが、焦点の定まらない目だった事や、そのときの様子を思い出してみれば、脳梗塞の症状だと気がつく人は気がついたと思う。
再入院
父はそのまま入院する事になったのだが、今回で4回目である。この病院だけで3回目になる。
しかも、病気も相当悪化しているようだ。
今日は昼と夕方の二回病院に行ったが、父の意識は眠っているのか起きているのかさえ判らない。時折ピクッピクッと小さく動くだけであった。
今回の入院は最後の入院になるだろう。常々「家で死にたい」と言っていたのだが、恐らくその願いは叶わないだろう。
主治医は「もしかしたら復活するかも知れませんが・・・」と言っていたが、今日は「脳梗塞自体は一時的なものなので問題ないが、持病の方が相当悪化しているので・・・」と言っていたので復活の可能性は極めて低いのだろう。
報われる事のない苦労
何年間も在宅介護をしていても、在宅介護や終末期医療の終わりは患者の死である。
7年以上闘病した母の死で、喪失感よりも無力感の方が遥かに大きい事を私は知っている。
母の死から2年、またあの無力感を感じる事になるのだろう。
人間はいつか必ず死ぬ。そんな事は当たり前の事なのだが、一日でも長く生きる事は生きているものの務めだし、その手助けをするのが介護なんだろうけど、介護の終わりが患者の死である事は間違いない事実だ。
一生懸命介護をしても、患者が治る事はないし、報われない努力なんだと改めて痛感した。
昨年8月に「余命2年」と宣告された。父には告知せずひたすら隠し続けた。
しかし、余命2年の宣告からまだ半年である。
その間、「自分の糖尿病は治った。」「低血糖になった。」「飴玉を買ってきてくれ。」「ジュースを買ってくれ」など、自分勝手に解釈し糖分を取り続けた。
余命2年だと告知していたら、少しは自覚して自制したのだろうか。
告知するべきか、せざるべきか、今でも判らないが・・・
難しい判断だと思う。
今までは、患者の性格などを考慮して、ケースバイケースで判断するべきだと考えていたけど・・・
今は良く判らない。