親の介護は経験しないと解らない

親の介護 在宅介護

私の父が入院退院を繰り返しているので、退院から再入院までの期間が在宅介護期間です。

母は、脊髄小脳変性症で7年間入院していた。長い期間の入院生活だったが、国の定める特定疾患だった事と、元気な時に掛け続けた民間の介護保険のおかげで、経済的な負担は殆ど無かった。

しかし、父の場合は民間の介護保険には入っていなかったし、市の介護保険課に要介護認定の申請を行ったのだが、面接に来た人に対して強がったために、要介護認定は受けられなかった。

なんとか要支援2の認定は受けられたのだが、面接を受けた翌日から長期間の入院になってしまったので、要支援2の認定も余り役に立っていない。

退院したら必要になるのだろうけど、現時点では退院のメドは立っていない。



高齢化社会における介護について

急に介護の話を書こうかと思った理由は、pal-999さんのエントリを読んだからです。
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20091019/p1



pal-999さんのエントリは「いわゆるロストジェネレーションは親の介護をどうするのか、という話」というタイトルのエントリで、少子高齢化と高齢者の介護、社会保障費と国の財政について書かれていました。

その中で、私が一番気になったのは介護の事でした。

「自分、もしくは家族の健康にも優先する仕事なんてこの世に一つもない。 」という考え方は、良いと思う。ただ、これからの高齢化社会で、同じ考え方をどこまで、日本人がしてくれるか、僕は非常に悲観的なのだ。というのも、介護関係の本を読むと自分の親の看護をしてる人がしばしば看護している親に「はやく死んでくれないかな」という思いをしていることが多いからだ。残酷な話だけれど、そういう気持ちをもってしまうのもしょうがないと僕は思う。親が死んだ時にうれし泣きしたなんて話まで出てくる。

私も、「はやく死んでくれないかな」と思うことが度々あった。

その反面、「一日でも長生きさせる為にはどうしたらいいか」という事を真剣に考える。

矛盾した感情だけど、日常の殆どを介護に充てている人は、皆さん同じような矛盾を抱え込んでいると思う。

もしも自分が同じような状態になったら、尊厳死を選択したいし、尊厳死が認められる社会になっていて欲しいと思う。

しかし現在のルールでは、尊厳死は認められていないのだろう。

リビング・ウィルとは、「生前の意思」という意味で、尊厳死の権利を主張し、延命治療の中止を希望するなどの意思表示、または延命治療を拒否する内容の遺言書などの事です。
葬儀の方法や臓器提供の意思表示もリビング・ウィルに含まれる。
引用:終末期医療の問題点
http://www16.ocn.ne.jp/~iwamiya/Terminal_Care3.html

リビング・ウィルを尊重するという方向で、終末期医療(ターミナルケア)は行われるそうです。

末期がんなどの場合は、終末期医療と解り易いけど、認知症などの場合は、終末期医療とは言わないだろう。

同じ在宅介護でも、認知症患者の場合と末期がんなどの終末期の患者の場合で、対応も違うし、介護する人の負担も大きく違うと思う。



在宅介護にも、様々なタイプがある

終末期の患者と認知症などの患者の場合、同じ在宅介護でも全く違う介護になる事も多いはずだ。

私の父の場合、胃がんの摘出治療後の衰弱が原因なので、徘徊したりする事は無かったし、奇声を上げる事も無かった。

ただし、思うように体が動かないので、ストレスが溜まり、感情的になりやすくなっていた。

在宅介護といっても、病気の種類や病状によって、内容が大きく変わるのだ。

こういう事は、実際に介護してみないと理解出来ないし、私だって認知症の介護は経験がないので、その苦労は理解出来ない。