秋を楽しむ
秋を感じる
9月も中旬に入り「天高く馬肥ゆる秋」を実感する事が多いです。
田んぼの畦や道端に咲いている彼岸花(マンジュシャゲ)や、オミナエシを見つけ「田舎に住んでいると季節が実感できるなあ〜」と、シミジミと思います。
季節の変わり目になると「時が過ぎていくのは早いなあ」といつも思うのですが、特に夏から秋に季節が変わるときは、寂しさのような感傷的な気分も味わう事になります。
感傷的な気分
なぜ秋には感傷的な気持ちになるのか。
凄く不思議な気がする。
秋といえば「収穫の秋」「芸術の秋」「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」など、ポジティブな言葉と組み合わされる事が多いのに、気分はなんだか感傷的になるのである。
そう言えば歌謡曲でも、曲のテーマが「秋」に関するものだったら、感傷的な印象の曲が多いように思う。
そう言えば「秋」といえば秋祭りなど、楽しみなイベントも多いのだ。
なぜ感傷的になるんだろう。
感傷的な気分と言うのも人生の一部であるし、私は個人的に嫌いではない。
感傷的な気分も一緒に楽しめばいいのではないかと思う。
感傷的な理由
楽しめば良いのであるが、「なぜ感傷的になるのか」理由が気になって仕方が無い。
そこで、思いつくままに「秋の感傷的なもの」を集めてみた。
その1・虫の声
秋の夜の虫の声は感傷的な音ですよね。大好きなんですが、なんとなく物悲しさを感じます。
その2・月が綺麗である。
月が綺麗なのは、空気が澄んでいて良く見えるからなのでしょうが、明るくにぎやかな太陽と、物悲しさを含んだ月って対極のイメージですよね。
その3・だんだん涼しくなる。
夏のイメージは明るく、冬は暗いイメージと言うのが日本人の印象だと思うのですが、明から暗に移行する途中の秋はやはり寂しいイメージになる。
その4・草木が枯れ始める。
実った作物を収穫すると、作物の一年の仕事は終わりである。日本人には麦(春に収穫する)よりも、稲作の印象が強い。稲は、収穫される秋で一年の仕事が終わるのである。
ちなみに佐賀県は、麦の栽培も盛んで春の佐賀平野は「麦秋」という美しい風景が広がります。
それぞれ秋が感傷的な理由として充分なインパクトを持っていると思う。
百人一首には
百人一首には「奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき」という猿丸大夫の和歌が在るので、日本人は大昔から秋は悲しいものだと認識していたのであろう。
ちなみにこの和歌は、古今集では「よみ人しらず」になっている。
不思議に思い調べてみたのだが、猿丸大夫の一首と言うのはどうやら、作者不詳の和歌を集めた「猿丸大夫集」のなかの一首らしい。
藤原定家は、百人の歌人の和歌を選ぶにあたり、よみ人知らずでは具合が悪いと考え、猿丸大夫作として選出したと思われる。
それほど見事に感傷的な秋の感想を詠った和歌であり、擬人化してでも百人一首(私選和歌集)加えたかった一首だったのだろう。
藤原定家より以前に藤原公任が「三十六人撰」に選入しているので、定家はそれに倣ったのかも知れないが、両氏ともに作者不詳な「よみ人しらず」を擬人化してでも選出したかったのだろう。
そう考えると藤原公任や藤原定家に対して、なんとなく人間味と言うか親近感を覚える。
少し小難しい説明になってしまったが、大昔から日本人は秋と言う季節に感傷的な印象を持っていたのであり、私が秋に感傷的な気分になるのは、日本人のDNAがそうさせるのでは無いだろうかと思うのです。
「奥山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき」という和歌ですが、昔の人は「鹿はふつう妻を恋うて哭くものだ。」と考えていたそうです。
奥さんに逃げられた亭主が、逃げた女房に未練たらたらで、秋に人恋しくなって読んだ和歌なのか?と思うと折角の名歌がぶち壊しになるので、出来るだけ「妻を恋うて哭く」なんてロマンチックだなあ〜と考えるべきなのです。