ひき逃げ事件

仲間がひき逃げされた

私が近所の焼き鳥屋さんに到着し、大勢の仲間達の間に座り込んだ途端、消防団の先任部長の携帯電話が鳴った。

次の瞬間、先任部長は立ち上がり「M班長が車に撥ねられた!俺は今から現場に向かうから、後は連絡するまで待機しろ。」と話して店を飛び出していった。

消防団の仲間はざわつきながら連絡を待った。

あるものは会計を済ませに行き、またあるものは他のメンバーに連絡をした。

事故の現場にいたものから「ひき逃げ」らしいという情報が入った。

私はとっさに「飲酒運転の可能性がある。」と判断し、団員の一人に事故現場周辺のスナックのママに「10時ごろに帰った客がいないか」確認をとらせた。彼はママの息子である。

ママの店の客には10時ごろ帰った客はいないようだった。

消防団 操法訓練

私は地元の消防団に所属している。

そして現在は9月6日に行われる消防ポンプ操法大会の為に、2週間の訓練を行っている。

われわれはポンプ車操法に出場するので、指揮者1名・選手4名をサポートするために2週間訓練に参加している。

何度も繰り返しホースを張るので、伸ばしたホースを巻く人。選手や指揮者を指導する人。集まった団員のまかない料理を作る人。消防団員が一丸となって選手や指揮者をサポートするのだ。

一年に一度の操法訓練は、各部が一つになって訓練に励むため、この時に培った仲間意識はおそらくどんな団体よりも強固なものだと思う。

選手はサポートしてくれる仲間の頑張りに報いる為に上位入賞、優勝を目指す。

仕事が終わった後の疲れた身体に鞭を打つように過酷な訓練を繰り返す。

仲間達も生業の傍ら、仕事が終わると詰所に集合し、選手たちのサポートをする。

私は自営業なので、時間の融通が利くが、サラリーマンや公務員の場合、仕事の都合を付けるのは厳しい事もあると思う。

そんな状況でも、地域の安心・安全の為に活動する事を苦痛に感じないのは、強い仲間意識があるからだと思っている。

消防団は全国にある組織なので、地域によって活動内容や拘束時間に格差がある事は事実ですが、恐らく何処の消防団でも同じような仲間意識があると思う。

特に火災や自然災害のときは、命がけの活動になるから、団員同士の信頼関係は強い。

命を預けられる信頼関係は、操法訓練やその他の訓練で培われるものだと思っている。

固めの儀式

訓練が終わると、詰所に戻って皆でまかない料理を食べながら缶ビールで乾杯し、反省会のような事をするのです。

操法大会に出場する選手たちは、期間中に何度か「固め」と呼ばれる儀式を行っている。

詰所で飲み食いしている仲間を残し、選手と指揮者だけで場所を変えて飲みながら、選手間の連携などの反省をするのである。

その「固め」の飲食代は、指揮者が負担する事になっているのだが、2週間で数十万円の負担をする事になる。

指揮者が一人で負担するのは気の毒だという事で、1時間くらい後から選手一同のいる飲食店に向かい、一緒に飲み食いして割り勘をする事になっている。

割り勘応援が多ければ多いほど、指揮者個人の負担は軽減される。

そして誰もが指揮者を経験するので、自分が応援してもらった者は「お礼」と言う気持ちで、これから指揮者をする人は「俺のときの頼むよ」という気持ちで、割り勘応援に行くのである。

焼き鳥屋さんに移動中

選手達を追いかけて、部長たちは先発して焼き鳥屋さんに向かった。

先任班長の私は、団員達に支持して詰所の後片付けを行い、後片付けが終わった事を確認して「本日はお疲れ様でした。明日も宜しくお願いします。また選手たちは○○で固めを行っていますので、応援に行ける人は宜しくお願いします。」と他の班長や団員のみんなに告げて、焼き鳥屋さんに向かった。

私は先頭を歩いていたのだが、途中で自転車に乗った団員が数名、私を追い越していった。

私と一緒に歩いていたK班長が、後方を確認するために道路をわたって後方を見ていた。

そのときだ!

私とK班長の間を猛スピードで四駆が通り抜けていった。

私は前方を見て歩いていたので気がつかなかったが、その四駆は猛スピードでK班長の方向に走ってきて、K班長に気付きハンドルを切り、今度は私の方に突っ込みかけて私に気付き、慌ててハンドルを切り、何とか間を通り過ぎたらしい。

K班長は後方を確認していたので、詳細に記憶していた。

その後私たちは無事に焼き鳥屋に到着した。

事故の報告

私は店に入って、暫くマスターと話をして、みんなが待っている座敷に行った。

座敷には20人ほどの仲間達がいたが、その中にスペースを見つけて私は着席した。

その途端に先任部長の携帯が鳴って、事故が報告された。

先任部長は我々に待機するように指示して、現場に向かった。

急いで会計を済ませ、焼き鳥などはトレーに移してラップをかけた。

焼き鳥には殆ど手をつけていなかったが、残して帰るのは失礼なので、家族のいる連中に持ち帰るように指示した。

仲間たちは慌しく携帯電話で情報を確認したり、他の仲間に連絡したりして、先任部長からの指示を待った。

解散

十数分後、先任部長から連絡が入り、ひき逃げされたM班長が救急車で運ばれた事、S班長が付き添いで救急車に乗り込んだ事、事故現場等が簡単に報告されて、速やかに解散するように指示が出された。

事故現場は私の家の前だったようだ。

部長を残して帰るように支持されたが、私の家の目の前で起きた事故なので、私は現場に行ってその後も事故現場で待機していた。

事故現場

事故現場は、事故の激しさを物語るように、様々な破片が散乱していた。

跳ね飛ばされたM班長が落下したであろう場所には、血が流れていた。

事故を目の前で目撃していたK団員は、警察の人たちに状況を聞かれていた。

私と一緒に行動していたK班長は、後方を確認していた時の状況を警察官に伝えた。

K班長は、猛スピードで通り過ぎた四駆が、アクセルを吹かしたときに出る排気ガスが、視界を遮るほどの煙だったと話していた。K班長は自動車メーカーの社員なので、車のことは詳しい。「あの煙は、ディーゼルエンジンを急に吹かした時に出る物で間違いない」と言った。

事故を目の前で目撃したK団員は、自動車整備工なので、彼も自動車には詳しい。

K団員もディーゼルの四駆で間違いないと証言した。

そして、「M班長を撥ねた後、その四駆は停まる気配も見せぬまま、加速して逃走した。」と証言していた。

K班長が見た排気の煙は、事故の後、急に加速した時に出た排気だったようだ。

100メートルほど先を歩いていた私たちは、事故の事には気付かなかったが、たまたまK班長が後方を確認していた為、事故の状況が詳細に確認できた。

先任部長とK班長、K団員は調書作成の為の事情聴取のため、警察署に行く事になった。

彼らの自転車は、私の家の車庫で預かることにした。

医師の診断

その後、M班長に付き添っていたS班長が帰ってきて、医師の診察結果を報告した。

「外傷性くも膜下出血」「肋骨の骨折」「首の骨が少しずれている」「腰のダメージ」「頭部のダメージ」など、かなり重症だという事が判明した。

本人の意識はあるので、痛む箇所などを自分で説明していたらしい。しかし、視神経をやられているようで、「二重三重に見える」といっていたらしい。

解散

警察の現場検証が終わるまで、事故発生から3時間以上の時間が掛かったが、現場検証が終わると数人の警察官を残して、他の警察官は帰っていった。

残った警察官は、その後数時間、現場の写真を撮影していたようだ。

私達も解散する事にした。

今朝になってK団員が自転車を引き取りに来た。

相当ショックが大きかった様子だった。

目の前で仲間が撥ねられたのを目撃しているのだから、PTSDが心配だった。

K団員には「今日の訓練は休んでいい。それからPTSDの恐れがあるから、あまり思いつめるな。」と告げた。

精神的な医療の事など、私には全く知識が無いのだが、一応PTSDなどの事は知っていた。M班長の治療は病院に任せて、われわれは祈るしか出来ないのだが、K団員の心のケアが必要なことだけは解った。我々に出来る事はそんな事ぐらいしかないのである。

その時、K団員に先任部長から電話があり「警察から『事故を起こした車両と、運転していた本人を確保した。』と連絡があった」と知らされた。

逃げ得は許さない

昨夜から考えていたのだが、状況から考えて「ひき逃げ犯は恐らく飲酒運転で、酔いがさめた翌朝に出頭してくるだろう。」と思っていた。

明らかに逃げ得狙いの姑息なひき逃げである。

警察や裁判では、飲酒を証明する事が出来ないが、われわれは絶対に逃げ得など許さない。

仲間がやられて、泣き寝入りする気は全く無い。

法律で裁けない部分は、社会的責任と言う形で、ひき逃げ犯を追及するつもりだ。

新たにわかったことがあれば、随時このブログで報告したいと思っている。

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