昨日はクリスマスイブ

クリスマスイブ

世の中の人間が、クリスマスイブだって浮かれていた。
実際どれだけの人間が浮かれていたのかは解らん。
しかし、私には母の命日なのだ。
仏壇にお供えしてお寺に行く予定の一日なのだ。

クリスマスイブの朝

クリスマスだというのに、入院中の父の容態は悪化。
実際には、23日から容態が悪化したのだが、24日に病院から電話で
「輸血しますから、承諾書にサインをして下さい。」
と、連絡を受ける。
病院に行って、医師の説明を受け承諾書にサインした。
1・極度の貧血で輸血が必要だという説明。
2・急激に貧血になったので、どこかで出血している可能性が高い。
3・調べる為に、内視鏡を入れる
と説明された。
「午後から、内視鏡治療をします。」といわれたので
本日の予定を説明して、一時帰宅。

クリスマスイブの午後1

クリスマスイブに、仏壇にお供えをして、線香を焚いた。
軽い昼食をとって、納骨堂にお供えするものを買いに行った。
母は果物が好きだったので、リンゴを2個、栗饅頭を1パック購入。
クリスマスイブに、お寺に行って納骨堂でお参りした。
サンタクロースには逢わなかったが、和尚さんに会ったよ。

クリスマスイブの午後2

その後、病院に直行して内視鏡治療の時間を待つ。
その間に数人の知人がお見舞いに来てくれた。
午後3時過ぎに内視鏡治療室へ行った。
私は、病院の治療室の前の椅子に座って待っていた。

内視鏡治療長引く

1時間過ぎても治療が終わらない。
以前、胃がんの摘出手術をして、3分の1残っている胃と
小腸のつなぎ目付近で出血しているらしい。
90分以上の時が流れた。
「オイオイ・・・同じ日に死んじゃうだろうか?」と不安になる。
好き勝手に生きてきた父である。
治療中も病人としての自覚がない奴だ。
もしも命に縁がなくても、自業自得な印象の男である。
覚悟が出来始めた頃、担当の医師が近づいてきて
「出血が止まらないようです。もう少し時間が掛かります。」
と私に告げた。

治療終了

それから10分ほどで父は内視鏡治療室から出てきた。
父の意識はシッカリしているようだ。
担当の医師が、内視鏡写真を見ながら説明してくれた。
1.結合部の血管が奇形していて、そこから出血していた。
2.止血を試みたが、出血が止まらなかった。
3・金属製のクリップで傷口をつなぎ合わせて止血した。
4・しばらく、絶飲食で点滴だけの栄養補給になる。
5・転院の話は白紙に戻す。
6・この病院で徹底的に治療すること。
7・1〜2週間後に再度内視鏡を使って診察する。
等を告げられた。
とりあえず命だけは助かったようだ。

叔母に報告

治療終了後、父の姉に連絡した。
叔母さんに詳細を報告する為に自宅に伺う事を告げて病院を出る。
帰りながら地元の父の友人に結果を報告した。
その後、叔母の家から連絡が入る。
どうやら従兄弟が帰省してきて、今着いたらしい。
もうすぐ訪問する事を告げて、叔母の家に急ぐ。
叔母の家に着き、叔母の家族に一通り報告を済ます。

夕食

夕食をご馳走になる事になった。
クリスマスケーキが出てきた。
クリスマスだった事に実はこの時気が付いた。
夕食をご馳走になって、しばらく話をして帰宅した。
叔母の家に訪問したので、ちょっとだけクリスマス気分に浸れたし
従兄弟にも会えたので良かった。

不幸続き故の幸福感?

不幸続きの最近ではあるが、私も年をとり、周囲も同様に年をとった。
ある程度、不幸が続く事は必然といえる。
しかし、我が身に降りかかる不幸は、本当に辛いものだ。
しかし、もうすぐお正月である。
不幸続きでも、私はまた一年歳をとる。
「正月は冥土の旅の一里塚」by一休和尚
しかし、また一年私自身は健康に過ごした。
今年も自分だけは健康に過ごせた。
有り難いことである。
自分が健康な事に、幸福を感じる。
これは、不幸続きゆえに痛感出来る事であろう。
普段は、健康に感謝などしないモノである。