たまには感動的なお話を紹介しないとね。増田神社のお話!

ブログタイトルとエントリ内容が懸け離れてしまった感がある今日この頃・・・

最近は感動どころか文句ばっかり書き込んで、大量の毒を撒き散らすブログになりつつある。

このままじゃイカンという事で、今回はちょっと感動するお話を紹介します。


唐津市肥前町高串の増田神社

唐津市肥前町には増田神社という神社があります。

増田といってもはてな匿名ダイアリーとは全くの無関係です。


この増田神社ってのは、恐らく日本で唯一警察官(巡査)を奉った神社です。


明治28年の夏・・・高串でコレラが猛威を振いました。(この年は日本全国でコレラが流行していたらしい。)

その当時は警察が衛生行政を任されていたようです。

高串のコレラ防疫に派遣されたのが、熊本県生まれの増田敬太郎巡査です。増田巡査はコレラ防疫活動と患者の手当てなど行ったのですが、当時コレラという病気は致死率の高い病気でした。

増田巡査の努力の甲斐も無く亡くなる患者さんは多かったそうです。

さらには増田巡査が患者に毒を飲ませているんじゃないかという噂まで広まり、薬を拒否する患者さんまで現れる始末。


それでも増田巡査は根気強く説得を続け、誤解を解いて行きました。

しかしコレラが恐ろしい伝染病だという事が判ると人々は遺体を運ぶ事を拒みます。

増田巡査はたった一人で墓地まで遺体を運び埋葬しました。


高串に来てから三日三晩、コレラ防疫、患者の手当て、遺体処理などで不眠不休の活動でした。

増田巡査の献身的かつ超人的な活動のおかげで、高串のコレラは数人の患者を残し沈静化しました。


しかし、いくら優秀な人物とはいえ生身の人間です。三日三晩不眠不休でコレラと戦った増田巡査の弱った身体にコレラは容赦なく感染します。

高串に来てから4日後に増田巡査は帰らぬ人となってしまいました。

死の間際に増田巡査は「余は死しても此の防疫の為に尽くさん この地向後悪疫を入れせめず」と言い残しています。「自分は死んでもコレラの防疫の為に全力を尽くす。今後はこの地に悪い伝染病を入れない。」という意味でしょう。


高串の人々は、増田巡査の功労と英霊を慰めようと碑を建て祠を造った。

それが唐津市肥前町高串にある増田神社の由来だそうです。


高串の人たちは120年間も増田巡査の功労に感謝し続けてるんですね。毎年7月に増田神社例大祭が行われます。佐賀県警の音楽隊も参加してるそうです。


ちょっぴり悲しいけど、凄く感動的なお話なので紹介しました。