バンクーバー冬季オリンピック

あと数時間で冬のスポーツの祭典冬季オリンピックバンクーバーで始まりますね。

私はスキーは出来ないし・・・過去に一度だけチャレンジして、全く出来なかったし、今後もチャレンジする事は無いと思います。

スケートもやった事が無いのですが、ローラースケートで上手く滑れなかったので、今後もスケートにチャレンジする事は無いと思います。

冬季オリンピックの競技で、私の趣味に合った競技は無いんですよね。

それなのにオリンピックと聞くと、夜更かししながら観戦します。

もちろん日本の選手を応援するんですが、応援しながら愛国心というものが誰にでもあるものなんだなあと実感します。

競技のルールや採点方法など全く判らないのに、なぜか真剣に応援しているんですよね。

本当に祈るような思いで応援します。



愛国心

愛国心というと、聴いた瞬間に拒否反応を起こす変な人たちがいますが、愛国心というのは、例えばオリンピックで日本人選手を応援するとか、ボクシングのタイトルマッチで日本人選手を応援するとか、サッカーのワールドカップ侍ジャパンの応援をするとか、基本的にそんな感じのものだと思うんです。

夏の甲子園で出身県の代表を応援するような郷土愛の国際バージョンが愛国心だと思うんです。

ちょっと変わった人たちは愛国心と聞くと、条件反射的に「愛国心=戦争」と連想するようですが、私のような一般的な国民が愛国心を感じる時って、スポーツの国際大会の時などが多いと思います。

勝手に「愛国心⇒戦争」と連想する人なんて、ホントに極一部だと思うんです。

その一部の変わった人たちの意見も、個人的には「人それぞれだから良いんじゃないか?」と思うのですが、彼らのいけないところは、その事を他人に強制するところです。



愛国心を否定する人たち

愛国心なんて誰だって持ち合わせているもんですよ。

その事を否定する人がいても「あ〜変わり者なんだなあ〜」と思うだけで特に気になることは無いのですが、その考えを他人に押し付けようとする態度には呆れる。

そもそもなぜ「愛国心⇒戦争」という発想になるのか全く出来ない上に、そういう偏った考え方を押し付けられたんじゃ、誰だって嫌だと思うんですよね。

愛情というモノは、「自己愛≧家族愛≧郷土(地域)愛≧愛国心≧世界愛」という感じのもので、誰だって持ち合わせているものでしょう。愛国心を持たないという意味が判らない。

愛国心を否定する人は、世界を愛する事は無いんでしょうか。また郷土や故郷を愛する気持ちはないのでしょうか。

愛国心なんて郷土や故郷を愛する気持ちと、世界を愛する気持ちの中間に位置する愛情だと思うんですよ。

自分が住んでいる国を愛せない人は、郷土や故郷も愛せないのか。また世界を愛する事もないのか?そういう疑問を持つのですが、それも人それぞれの考え方があっていいと思うし、私自身の考えと違うからといって、異端児呼ばわりする気も無いけど、他人の考えを押し付けられる筋合いでもないので、私は私なりの愛国心で日本人選手を応援するんですよね。


愛国心を否定する人たちって、オリンピックを見てもスポーツの国際大会を見ても、日本人選手や日本代表を応援したりしないんだろうか。

もしそうなら、そんなに寂しい人生って無いですよね。

でも、それ以前に興味の無い競技だったらオリンピック中継すら見ないんでしょうけどね。だってオリンピックって日本人が日本人選手を応援するから見ていて楽しいのであって、応援する選手やチームがないのなら興味の無い競技をみてもツマンナイと思います。

折角オリンピックという素晴らしい大会が行われるんだから、愛国心を持って日本を応援したらいいと思うんですよ。そのほうが絶対に楽しいですよね。

私は、日本人選手を応援しながら、オリンピック期間中楽しむでしょう。おそらく寝不足の日々が続くと思います。