日教組というカルト教団のマインドコントロールから解き放たれよ

私と学校の先生との関係

小学校の頃まで、私は学校の先生とは割りと良好な関係を保っていた。

40過ぎて思い出しても、小学校時代は教師に対してそれなりの敬意を持っていた。

しかし、中学校の入学式当日、学校の先生に対する強い不信感を抱いた。

以降、身近な大人として接するものの、ある程度の距離感をおいて、接してきた。

まあ自分自身も成長している時期なので、これまでは疑問に思わなかった事が、疑問に感じだす年頃なのだろうけど、今でも思い出すと、学校の先生とは世間知らずの情け無い存在だと思う。


全ての先生に該当するとは言わないが、多くの先生達に該当する。



入学式当日の出来事

中学校の入学式の日、教室で中学校の事についてオリエンテーションが行われ、給食当番など諸々の事が決まった。

そして、休み時間になったのだが、私は担任の教師に呼び止められた。

そして教師は「君、そこの給食用の台を拭いて!」と命令した。

小学校時代の私だったら、何も疑わずに給食の台を拭いたと思う。しかし、その時は少し違った。

給食当番を決めた直後であるにも関わらず、その教師は、給食当番ではない私に命令したのだ。

私は「給食当番を決めたんだから、給食当番に命じるべきじゃないのか?」という疑問を感じたので、「なぜ俺が拭かなきゃいかんの?給食当番を決めたばかりやン」と質問したのだ。

まあ、その事は私の質問も多少拙かったのだろう。その教師は、たかだか12歳の少年が、父親と同じ年齢の教師に対して口答えをしたと憤ったのだと思う。

その教師は「もういい!君には頼まん!」と言って、さっき決めた給食当番に給食の台を拭くように命じて出て行った。

たしかに私は生意気な態度に見えたかも知れないが、決めたばかりのルールを勝手に反故にする教師も如何なモノかと思うんです。

しかも、その事で私の親は中学校に呼び出された。

大人気ないの教師だと正直思いました。

今みたいに、教師が生徒を殴ったくらいで騒ぎになる時代じゃなかったし、私もよく殴られた。

ひどい時は、悪さをしたクラスメートを知っていたが「仲間を売るなんて出来ないよ。」って思って、教師に報告しなかったら、「お前は知っていたんだろうが!」ってぶん殴られた。

そんな事は日常茶飯事だった。

まあ、学校が荒れて、校内暴力が問題視された時代だったし、教師も余裕が無かったのかも知れないし、上級生や教師に殴られるなんて、日常茶飯事だった。



己の考えを押し付ける教師

なぜ今頃になって思い出したのかというと、次の記事を読んだからです。

大阪府内の府立支援学校で起きた、入学式や卒業式の際の国旗掲揚と国歌斉唱をめぐる校長と教師との激しい対立の体験をまとめた『学校の先生が国を滅ぼす』が出版され、反響を呼んでいる。校長として、「日の丸、君が代」に反対する教師たちと渡り合った著者の一止(いちとめ)羊大(よしひろ)さん(66)は「国を愛せない教師が子供たちを育てている。学校でどんなことが起きているのかを知ってほしかった」と話している。
引用 産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/education/091121/edc0911212040001-n1.htm

日教組という労働組合が、「君が代」や「日の丸」に対して、嫌悪感を抱いている事は良く知っている。

個人的な主義主張ならば、それを尊重するし、批判する気などサラサラないのですが、彼らは生徒にも歌わせない。

小学校や中学校の生徒が、主義主張を持っている事など稀だとは思うし、国旗掲揚や国歌斉唱は大切だと考えているとは思わない。

しかし・・・

教師たちは障害児教育への意識は強く熱心だったが、ひとたび国旗・国歌が話題になると反発した。一止さんの説明に聞く耳を持たず、国歌斉唱の文字を省いた式次第を式当日まで隠す、国旗掲揚と国歌斉唱に反対し、連日、校長室に押しかける…。教師の反抗はエスカレートした。「国旗・国歌を通して国を大切に思う心を教えるのは当然のこと。話せば分かるというのが私の基本スタンスだったが、そこまで猛反発を受けるとは思わなかった」と当時を振り返る。

私は「国旗掲揚や国歌斉唱は日本人として当然だろ」って考えているが、個人的な主義主張を捻じ曲げてまで歌わせる必要は無いと思う。何事も強制されると反発するものである。

だから、教師が国歌を歌わなくても、非難はしない。ただ、日教組教にマインドコントロールされた哀れな人たちだと思うだけである。



しかし、式典の式次第から国歌斉唱の文字を省略するという行為は、自分たちの主義主張を生徒さんたちに押し付けているだけだ。

式次第から国歌斉唱を削除したら、生徒さんたちの歌う権利を侵害しているという事実に気が付いていないのだ。

自分達が歌うことを強制されたら激しく反発するくせに、自分達は生徒さんたちに歌わないことを強制している。

そういう事実に気づかない時点で、学校の先生は馬鹿だと思うのだ。

自分の考えを一方的に押し付ける教師の態度に憤慨しつつ、つい昔の事を思い出してしまった訳だが、今も昔も学校の先生というのは世間知らずで、強権的な態度なんだなと思うと哀れに思える。



哀れな人たち

哀れな人たちで思い出すのは、オウム真理教などのカルト教団にマインドコントロールされている人たちである。

恐らくマインドコントロールされているから、自分達が哀れだと気が付いていないだろうが、それ故に更に哀れに感じるのだ。

マインドコントロールされる事で、自分たちは幸福だと信じ込めるのであれば、彼らはそれで幸せなんだろうから、それ以上いう事はないんですけどね。

しかし、国旗掲揚や国歌斉唱を拒否する事が幸福とは思えないのだ。

まして「君が代を聞くと軍靴の音が聞こえる」などという電波は何処から発信されてんだ?

私は君が代を聞いて、軍靴の音が聞こえた事は一度も無い。(現実的・抽象的表現のどちらでも)。

学校の先生は、日教組というカルト教団に洗脳されているんだよね。



日教組

私の知人の中には、学校の先生も数人いるが、彼らは至って普通である。国歌や国旗に対する嫌悪感など無く、地元のボランティアなどにも忙しい合間を縫って参加している。

彼らは「学校社会の中に閉じこもっていたら、考え方が偏ってしまう。」という危機感も持っている為、一住民として参加し、学校以外の仲間と触れ合う事を重要だと考えているのだろう。

日教組カルト教団のようなものだと気づいている教師の方が多いんじゃないか。

だから、日教組の組織率って年々低下してるんだと思うんだ。

そして、組織率が低下した組織では、一部の強硬派が台頭し、ますます歪んだ思想に走るんだろな。



私が学校の先生達に言いたい事

強制されるのが嫌という感情があるのなら、他人(特に学生さん達)に自分の考えを押し付けるなよ。アンタラがやってる事は、アンタラに自分たちの考えを押し付ける人たちと同じ事なんだぞ。


自分達が日本の社会では、とてつもなく異質な人たちだという事に気づけよ。


教師同士が結婚した時の結婚式って、異様な光景だぞ。

私は何度か出席した事があるが、異質というレベルじゃないんだから。

先生達が十数人舞台に上がって、音楽の先生のピアノに合わせて輪唱するシーンなんて、不気味としか形容出来ないほどに異様な光景なんだぞ。

国歌を歌いたくなければ、歌わなくていいから、それを生徒さんたちに強制するな。

国旗が嫌いなら下を向いていろ。日本が嫌いなら外国に移住したって構わんよ。ただ、それを他人に押し付けちゃダメだ。

出来れば、忙しくても地元の住民との接触を持って、世間の考えも理解するべきだと思う。

狭い社会に閉じこもっているから、考え方がどんどん偏っちゃうし、日教組教に洗脳されやすくなるんだよ。

日教組からの情報だけを判断基準にしていたら、それこそ「大本営発表」だけを判断基準にしているようなモンだろ。

教員社会という狭い社会から飛び出して、世間の事を知ろうよ。そうする事で少しずつ日教組のマインドコントロールから解き放たれていくんじゃないかな。